篠山市人権・同和教育研究協議会のあゆみ
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篠山市人権・同和教育研究協議会

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 2014年現在、市同教は各支部を廃止し、市同教1本体制になっています。本頁は内容の改訂が実施されておりませんことをご了承ください。
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結成と組織
 1998(平成11)年4月1日、旧多紀郡四町が合併し、篠山市が誕生した。市の誕生とともに、これまでの同和教育の推進と実践活動の成果を持ち寄り、発展的組織として、篠山市同和教育研究協議会を設立した。
 ちなみに加盟組織数は、保育園・学枚数育関係をはじめ、企業、宗教関係、各種団体など40団体の加盟を得て設立した。篠山市は、自治会数260集落を擁し、兵庫県内でも二番目に大きな面積であることから、同和・人権学習の徹底を図るため、篠山市同教本部に下部機関として、旧町ごとに支部組織をおき、職員配置を行い、連携を図りながら事業の准進に当たっている。
 事務局職員11名は、嘱託職員である。
 組織は次のとおりである。
  篠山市同教(事務局長及び職員1名)
  篠山支部(事務局長及び職員2名)
  西紀支部(事務局長及び職員1名)
  丹南支部(事務局長及び職員1名)
  今田支部(事務局長及び職員1名)

推進体制
 市内260集落の住民学習及び団体学習を准進するため、教育委員会において、人権教育推進員5名を委嘱し、それぞれの事務局に配置し、リーダー研修会を企画し、指導者育成にあたっている。
 また教育委員会では、市民の中から、学習助言者に161名を委嘱し、基本的認識や学習教材の研修を行い、学習活動に対応している。

 また行政職員についても、15年以上勤務する者345名を学習推進員として位置づけ、これらの学習助言者、行政職員、同教役員の三者で班を編成し、一班3〜4名が自治会学習に参画し、ひざを交えて懇談的な学習会をすすめている。

 またそれぞれの自治会には、同和教育係または地域づくり堆進員の名杵での推進役をおき、自治会長とともに文字通り地域ぐるみ、町ぐるみの学習会の推進を図っている。

 1999年度では、市内のほとんどの自治会で年間2回の学習会を開催し、部落差別をはじめ、あらゆる差別を支える生活態度の変革に向けて取り組んでいる。

篠山市同教の基本方針
@ 我が国の社会に今もなお厳しく存在する部落差別の速やかな解消を図るとともに、女性、障害者、民族差別など、一切の差別をなくすため、全市的な同和教育・人権啓発活動の充実発展に努めます。

A「人権教育のための国連10年」の理念を踏まえ、来るべき21世紀を展望し、人権に基づいた文化の創造と日常生活のあらゆる場での実践をすすめ、人権尊重に取り組む個人や団体・人権啓発施設とのネットワーク化を図ります。

B 学校、家庭、地域、職場、団体での主体的な学習活動の輪を 広げ、市民一人一人が人権感覚を培い、人権を尊重した地域づくりや町づくりに取り組み、心豊かな共に生きる市民社会の実現をめざします。

篠山市同教発足一年の歩み
 1999年度、篠山市同数を設立してより一ケ年、全市的な人権・同和教育の推進を図り、人権尊重の町づくりの実現にむけて、取り組んだ。

@第1回同和教育研究大会の開催
 内容は、人権シンポジウムとして、部落問題、障害者問題、女性問題、在日韓国朝鮮人間題の解決に向けて私たちはいかに取り組むかについて考えた。

A会報「人権・同和教育ネットワークささやま」を、年間三回発行し、啓発に努めた。

B専門部会活動では、保幼部会、学校教育部会、障害者部会、女性部会、企業部会、宗教部会、地域部会など部会活動を推進した。

C調査研究活動では、兵庫県人権・同和教育研究大会丹有地区大会をはじめ、兵庫県、全国大会、各研究集会に参加し、各地 の実践と経験に学んだ。

D特に「穢れと差別と宗教」の関係性を明らかにし、宗教関係者の研修や地域住民学習の中で、掘り下げた学習をすすめ、「穢れ」に代表される「清め塩」のしきたりなどの廃止運動をすすめた。この運動は、全市的に浸透し、「清め塩」は、全く見られなくなったことは、市民に大きく理解されたことを示している。

組織名称の変更
 篠山市では、2000年度総会において以下の理由により名称変更を行った。
 近代社会における基本的人権の尊重は、人類普遍の原理であり、部落差別の解消もまた人権問題の中心的な課題として位置づけられるものであり、今後一層、人権社会を実現するための教育課題として取り組まれる必要がある。

 今日までの実践の成果の上に立って、更に部落差別の解消をはじめ、あらゆる差別の解消と平和、環境の課題とも結合した取り組みへと発展させていくことが重要である。いま21世紀を目前にひかえ、21世紀が真に人権が尊重される社会とするため、「篠山市人権・同和教育研究協議会」に名称を変更する。

課題の解決にむけて
 30年にわたる人権・同和教育を継続してきた結果、市民の理解と協力を得て、差別の解消と人権意識の高まりがみられる。市内の各地域では、人権・同和学習から学んできたことを着実に地域づくりや町づくりへと取り組みがすすめられているところが多くなっている。

 その反面、市民の中には、人権・同和学習会は人のために学習するといった感覚から抜け切れず、自分自身の人権感覚を培い、日常生活の中で、家庭や、地域社会で自らが実践することであるとの認識に至っていないところに課題を残している。

 いよいよ21世紀、差別の現実を直視し、具体的な課題を提示し、継続的な学習活動を通じて、人権文化を生み出す努力を重ね
たい。

篠山支部(旧篠山町同和教育協議会)

結成と組織
@ 結成の経緯と組織の広がり
1975(昭和50)年3月28日旧篠山町、旧城東町、旧多紀町の三町が合併し篠山町が誕生した。
 それより11ケ月遅れて1976(昭和51)年2月「部落の完全解放なくして、わが国の正しい発展も差別を許さない明るい町づくりも、住民の幸せもありえない。焦眉の急を要する部落差別からの完全解放は住民一人一人のたゆまぬ学習参加の努力によってこそ達成されるものである。」との考えにより、同教組織結成に向け設立準備委員の選任が始まった。

 国民的課題としての同和教育の輪をひろげ、新町の全住民が会員である自主的な「同和教育協議会」の結成を図ろうとして、同年4月には、設立準備委員会を組織し、規約、役員、事務局体制、事業、予算などについて検討協議が重ねられ、1976(昭和51)年6月19日設立総会をもって「篠山町同和教育協議会」が結成された。加入団体は23団体をもって組織され、1980(昭和55)年より企業関係18社が加入した。尚、最終的には、31社の企業加入があった。

 設立時点の基本方針として「部落差別の本質と現実から深く学び、生活を高め、差別のない、明るい社会を築くためにその完全解消は行政の責務であるとともに全町民の課題として位置づけ、同和教育の強力な推進を図り、差別と闘う実践活動を積み重ねる。」とするものであった。

 1999(平成11)年4月1日旧篠山町、旧西紀町、旧丹南町、旧今田町が合併し、篠山市が誕生した。
 それに伴い同教組織も「篠山市同和教育研究協議会」の名称のもとに旧町ごとに篠山支部、西紀支部、丹南支部、今田支部の四支部を設置して活動の推進に当たっている。

 尚、2000(平成12)年定期総会において「篠山市人権・同和教育研究協議会」に名称変更を行った。現在の篠山支部の加入団体は13団体である。

篠山市同教篠山支部の軌跡
@教育・啓発の特徴的な取り組み
 ア 「同和問題に関する住民意識調査」の実施
 1978(昭和53)年、1981(昭和56)年、1987(昭和62)年の三回に亘り実施し、住民の部落問題に対する理解と認識度を把握し学習推進の指針とした。
イ 身近な地域の歴史を教材化
 篠山城を取り巻く民衆の苦闘の歴史、酒造出稼ぎの門戸開放の歴史、古文書解読を通して先人たちの差別への闘い、演劇活動の取り組み、また、住民意識調査結果のスライド化など手づくり教材の追及を重ねた。
ウ 小学校区単位の「同和教育協議会」組組の確立
 管内には、11小学枚区があるが、その内、三校区において「同和教育協議会」が組織されている。
 尚、他の校区においても、実行委員会を組織し、毎年「校区同和教育研究大会」が開催され、草の根運動的取り組みが展開 されている。

エ 視察研修の取り組み
 日頃の教育、啓発活動とともに、広い視野で人権問題を捉えることが重要であることから、1994(平成6)年より毎年三回の「人権ツアー」を継続実施している。

オ 自主的な住民学習活動の展開
 支部管内には、149の自治会がありそのその全てが自主的に学習活動に取り組んでいる。
 学習課題については、生活を通した身近な課題に人権の視点を当て、推進を図っている

A同和教育の深化と発展の歩み
 同教設立当時は、狭山差別裁判の闘いが取り組まれていた。一方糾弾会も頻繁にもたれていた状況があり、学習会では、「こわいもんや」「あんなに責めなくてもよいのに」などの声が出た。
 また、「寝た子をおこすな」という声もある中での学習会であり、話を聞くだけの「沈黙の学習会」であった。
 それを打開すべく地域課題を教材として提供するとともに、教育委員会と連携し、各集落に「地域づくり推進員」の設置を依頼し、学習の准進に努めた。
 尚、このような取り組みとともに、「マンネリ化」した学習をこえるために「訪宅学習」をすすめた地域もあった。
 このような経過を経て「くらしをみつめ、くらしに生きる同和学習」を目標に、特に交流学習が盛んに取り組まれた。
 1991(平成3)年6月8日には、「人権擁護の町」宣言がなされ、住民の人権に対する意識も高揚し、自分たちの地域課題の解決にも積極的に取り組むとともに、いま新たな学習方法として提唱されている参加体験型学習についても、149集落のうち87集落で実施されるなど、一歩一歩着実に前進している。

課題と展望
@課題
 先に述べた通り、1999(平成12)年4月に多紀郡四町が合併して「篠山市」が誕生した。同教組織も「篠山市人権・同和教育研究協議会」のもとに四支部が設置され、それぞれ活動している。
 組織のありかたについては、合併前より検討を重ね、現行の体制が整備されたところであるが、幾つかの課題がある。
ア 市同教と支部同教のありかたについての研究
  たとえば、加入団体(組織)の重複の問題など
イ 住民会費徴収のありかた
  現行通り各世帯より会費を徴収するのか
 また、支部間で異なっている世帯、個人会費の統一
ウ リーダー(指導者)の育成
エ 住民学習未実施集落への対応
オ 参加者が理解、認識し、自己変革につなげるような意欲を呼び起こす学習方法、教材などの提示


A今後の方向性
 いま、21世紀は「人権の世紀」になることを願って、各機関、団体などで全ての人々の人権が確立されるための施策や取り組みが展開されている。

 このような国内外の情勢を直視しつつ、今後、同教活動を積極的に推進し、国際的な人権教育思想の高まりに対応していくことが重要である。

 そのため、篠山支部は、各関係機関と連携を深めつつ、先に提示した課題解決に努めるとともに、「差別の現実に深く学び」を基軸に据えて、各集落における住民学習の深化を図る。

 日常生活の中での生き方が因習や世間体にしばられ差別を助長していないか。くらしの中から個人、家庭、社会を問いなおし全ての人の人権が尊重された社会づくりをめざし、住民と連携して同教活動の推進に努める。

西紀支部(旧西紀町同和教育推進協議会)

結成と組織
@1955(昭30)年 南河内村・北河内村・草山村合併、西紀村となる。
1958(昭33)年 西紀村民主化准進協議会結成。12月13旧川内中学校講堂において結成総会。本田定市氏を会長に選任。
・民主化教育の徹底及び生活文化の向上を図ること
・同和事業に関する調査研究並びに指導
・その他必要な事業を行うことをめざして民主化推進協議会が発足した。
1960(昭35)年 町制施行により「西紀町」となる。
 以来15年を経て、西紀町同和教育准進協議会に引き継がれた。
1973(昭48)年 西紀町同和教育推進協議会(同推協)と改め、部落差別の早期
解消をめざし、西紀町あげて差別の実態把握と町民の意識変革に迫る学習を展開してきた。
1999(平11)年 多紀郡四町(篠山町・西紀町・丹南町・今田町)が合併「篠山
市」発足。
1999(平11)年 篠山市同和教育研究協議会(篠山市同数)となる。
 6月20日四季の森会舘に於いて設立総会を開催。
 「わが国の社会に今なお厳しく存在する部落差別の速やかな解消を図るとともに、女性、障害者、民族差別など一切の差別をなくするため、全市的な同和教育、人権啓発活動の充実発展に努める」方針を打ち立てた。
 篠山市同教会長 倉垣 久 氏
 西紀支部長    松原武司 氏
2000(平12)年 「篠山市同和教育研究協議会」を「篠山市人権・同和教育研究協議会西紀支部」と改正した。
2000(平成12)年5月13日第2回西紀支部定期総会開催。
 西紀支部長 川崎瑞夫市氏選任、今日に至る。

西紀支部同教の軌跡
@ 同和教育啓発紙発行
・町民ノート・みちしるべ・伝えたい私たちの想い。
・同和教育「にしき」第1回1982年6月発行。
・「同数だより」1986(昭和61)年〜1999(平成11)年1月20日まで(4・7・10・1月)年四回発行。
「こころの窓」と改名して内容を充実しながら発行を続けてきたが、第50号となって篠山市となる。
内容としては、総会・研究大会・住民学習会・団体学習・紙上山講演・歴史(1〜12)・部落史を学ぶ(1〜17)・シリーズともだち(1〜42)・解放学級・全、県研究大会報告・同和教育教材など掲載。
・1999(平成11)年4月〜(人権・同和教育「ささやま」)年間三回発行。

A同和問題に関する意識調査
1982(昭和57)年 同和問題についての意識実態
1990(平成2)年 同和問題に関する意識調査
1995(平成7)年 人権と同和問題についての意識調査

B定期総会、研究大会など
 推進協議会定期総会第26回・支部総会第2回・研究大会第14四回・差別を許さない町准進大会第5回(同対室・同教・教育委 員会連携開催)
「差別を許さない町」1994(平成6)年12月10日宣言(採択)
    「差別を許さない町」宣言

前  文

 人は、すべてうまれながらに自由であり、人間として尊ばれ、人間として生きる権利を平等に有している。
 私たちは、基本的人権の享有を保護する日本国憲法のもとに、自由と平等を願い、健康で豊かな生活を求めている。しかし、この願いや思いに反し、いまも差別をされている人々や地域がある。
 よって、西紀町は日本国憲法をはじめ世界人権宣言の精神を尊重し部落差別をはじめあらゆる差別を根絶するため「差別を許さない町」を宣言する。


宣  言
一、西紀町民として、一人ひとりの基本的人権を永久の権利として尊重する
一、人権を互いに侵さず、侵されず、すべての町民の、自由と平等の権利を保障する
一、社会的身分による差別を撤廃し、平和で豊かな社会を創造する
 私たちは、不断の努力によって相互の人権を守り、部落差別をはじめあらゆる差別をなくすためここに、西紀町を「差別を許さない町」として宣言する。


☆総会・研修会・住民学習会には開会時に参加者全員で唱和する。

C 住民学習会 年間2回全自治会(28集落)
1973(昭和48)年から各集落で実施した住民学習会は27年経過した。
・住民学習の取り組み(基本的な考え方)
 自らの暮らしに生きる学習をしょう。
 学習の成果を家庭に生かそう。

 「教材の選定」「学習のすすめ方」「事前研修」 社会同和教育主事(各集落)を中心に、人権啓発推進員(教委より委嘱)、学習推進員(市職員)、同教役員、人権教育指導員が学習会に参加、指導的な役割を果たす。

D婦人学習会
・1973(昭和48)年5月21日同和教育婦人部結成総会開催
・1978(昭和53)年〜8年間 26班において講話・話し合い学習会を年間二回実施した。
・婦人交流学習会
 1987(昭和62)年度以降今日まで13年間、継続的に「本音で語る学習をしょう」として取り組んできた。
 当初は、対象地域の公民館で開催し、テーマを決めて話し合う。緊張感があって言葉にならず、「差別の実態に学ぶ」学習であった。

 「自分が部落問題を知ってから」をテーマで発言してから、部落差別解消に向けての話し合いをつづける。
 三年前からは、年二回中央で開催し、8分散会に分かれて話し合いをしている。

 部落問題が決して他人ごとではなく、それぞれに深いかかわりがあることを認識し、互いの考えを話し、合意共感する中から、人々が自ら受けている不合理に気づき、部落差別解消を共に図っていこうとすることを主な目的としている。
 アンケート調査・成果と課題・次年度にむけて、役員・推進員による反省会を開催する。

E団体学習会(学校・諸団体と連携開催する)

課題と展望
 先人の同和教育の遺産と教訓を継承しながら、自らが差別の実態から学び、自己変革や、さらに差別のない社会の実現につながる「同和教育を核とした人権教育」の推進を図る。
・住民学習の開催と取り組みの強化
・婦人学習会ー暮らしに生きる人権感覚を確立する
・各種団体組織の学習をひろげる。学習資料の提供
・研究集会、大会への参加。教育指導者の育成

丹南支部(旧丹南町同和教育推進協議会)

結成と組織
 多紀郡における部落差別解消をめざす取り組みは、戦後五年目の1950(昭和25)年、郡内の被差別部落の有志により、多紀郡同和会として発足、各種団体研修や講演会を通じて、啓発活動に少しづつ取り組まれるようになった。

 その後有志による取り組みから、全郡民への広がりと理解を求めるため、1958(昭和13)年には、多紀郡民主化促進協議会が発足し、丹南町においても結成をみている。 更に1961(昭和36)年には、町内各種団体により、同和推進協議会が結成され、団体学習活動がすすめられてきた。

 1972(昭和47)年、本町行政職員による結婚差別事件が明るみになり、差別糾弾を通じて、1973(昭和48)年には部落運動団体組織が結成された。

 その後、企業内差別発言、宗教による差別調査、結婚に際しての身元調査・聞き合わせ、差別落書きなど、あいつぐ差別事象が告発され、改めて部落差別の根強さが浮きぼりになった。

 こうした部落差別の現実をまのあたりにして、町民の正しい理解と実践を図るため、全町的に地区別学習会を年間二回以上実施すること、また町内各種団体においては、年間事業計画の中に位置づけ、同和学習会を開催し、以来継続的に学習活動に取り組んできた。

 こうした住民学習の推進にあたっては、教育委員会において、学習助言者を数十名委嘱するとともに、的確な助言ができるよう度重なる研修を実施し、学習会に参画して行った。

 行政職員についても、研修を重ね、学習会に参画した。一方学校教育においても、1971(昭和46)年より、兵庫県教育委員会による、副読本「ともだち」により、学校における同和教育がすすめられるところとなった。

 同和教育の推進に当たっては、教師がどのように部落問題をとらえていくのか、こどもたちにどのように指導するのか、対象地域の保護者との意志疎通と信頼関係、すべてのPTAの会員の正しい理解と協力に向けた取り組みなど、それぞれの課題に向き合って、推進を図ってきた。

 1974年には、部落運動団体、小・中・高校の加入のもとに、丹南町同和教育推進協議会に組織の再編成を行い、町民一人一人が自主的に会員登録を行い、会費一人当たり300円を納入することを通じて、会員意識の自覚と財源確保に努めてきた。
 ちなみに会員数は、1998年度現在では、おおむね全成人の70%の加入を得ている。

同和教育・啓発活動の取り組み

 本町では、町内60集落において、年間二回の学習会を開催することを申し合わせ今日まで着実に実施してきた。

 本町では、あいつぐ差別事象を通じて、事象を起こした当事者が差別を生むにいたる動機・事由、被差別部落に対する差別意識の解明がなされ、事象を起こした当事者のみならず、多くの市民の中にある差別意識に対して、正しい理解と実践の大切さを学習してきた。

 とりわけ結婚に関する身元調査・聞き合わせ差別事象の多発の事例から、1981(昭和56)年には「身元調査・聞き合わせしない。させない。見のがさない運動を提唱し、町内のすべての集落で学習会のテーマに掲げ、たび重ねて学習会を開催した。

 また全世帯にステッカーの張り付けを推進した。その結果、取り組み時点の意識調査では、身元調査、聞き合わせを行うのは当然とする割合が多かったのに対し、学習活動、ステッカー張り付け運動をすすめた5年後の調査では、70%が、第三者に聞き合わせることは、意味のないことであり、全く不合理なことだとして、行わないとの意志を示している。

 このことは部落差別の不合理さの理解と人権意識の高まりを象徴していると言える。

 また、1971(昭和46)年より、狭山事件の石川一雄さんに対する部落差別に基づくえん罪について、全証拠開示、証人尋問、口頭弁論などの公正裁判を求め、29年間継続的に取り組んできた。

 部落差別をなくす取り組みから、更に人権と平和への発展的な取り組みとして次の事業にも積極的に取り組んできた。

 即ち、戦争こそ最大の人権侵害であるとの観点から、かっての我が国の戦争責任について学習するとともに、原爆被爆国としての我が国の歴史を振り返り、戦争のない真の平和の大切さについて学ぶため、人権シンポジウムを開催した。

 とりわけ広島、長崎の被害の実態を知るため、アメリカ国立公文書館に保存されるフィルム買い取り運動がすすめられており、「10フィート運動」に協賛、映画会を開催し、核戦争の恐ろしさと悲惨さに学び、絶対に戦争を許さず、平和を守っていくことの大切さを学んだ。

 また女性、障害者、民族といった差別についても、それを支える日常生活での因習、しきたりについて、差別との関係を明らかにしながら、人権に基づいた地域づくりの運動をすすめてきた。

 これらの実践と成果と課題を明らかにするため、毎年研究大会を開催、18回を重ねてきた。なかでも「穢れと差別」について、被差別部落に対する偏見、人の死を穢れと見ること、女性の出血という生理、障害者に対する血筋観など、差別と偏見についての学習に努めた結果、その不合理について多くの市民の共感を得て、葬儀の際の「きよめ猛」が廃止された。

 町内60集落の中、ほとんどの集落で人権に基づいた改革がすすめられており、長年の同和、人権教育の成果ともいえる実践が報告されている。

 1998(平成11)年、篠山市の誕生により、丹南町での50年になんなんとする取り組みが、篠山市人権・同和教育の推進に継承されるところとなる。

実践活動の課題と21世紀への展望
 本町の約半世紀にわたる同和教育のあゆみを振り返るとき、学杖における同和教育と地域社会での同和学習を通じて、多くの理解者、協力者がうまれてきた。

 今後の課題としては、最近学習会参加者数の減少や出席者が固定化するなど、人権感覚において格差が生じている。

 そうした考えは、他人のための学習という意識から抜け出さず、自らの人権感覚を高めることの認識が育っていないことが見受けられる。

 いよいよ21世紀を目前にして、個々人が、より人権意識をたかめ、部落差別はもとより、あらゆる差別を解消する教育活動の推進と地域社会での実践活動を強力にすすめたい。

今田支部(旧今田同和教育推進協議会)

結成と組織
1958(昭和33)年、多紀郡内に民主化促進協議会が発足し、それを受けて今田村にも民主化促進協議会が組織された。そして、1961(昭和36)年に多紀郡同和推進協議会が発足したのである。

 1965(昭和40)年の同和対策審議会答申や1969(昭和44)年の同和対策事業特別措置法の制定が契機となって、同和問題の解決は行政の責務であり、同時に国民的課題であることが認識されるようになった。

 そうした中、1972(昭和47)年、これまでの今田町民主化促進協議会を解消して、新たに全町民を会員とする今田町同和教育推進協議会(同推協)が結成され、以来、今田町民の同和教育に関する推進母体となり、同和問題の早期解決をめざした教育・啓発としての住民同和学習会が開催されるようになった。

 今田町同和教育推進協議会の初代会長には、当時の今田町区長会会長の大西幸夫氏が就任され、今田町中央公民館に事務局を置くとともに、各集落の住民代表をはじめ、町行政、町議会、教育委員会、小・中学校及び同PTA、幼稚園・保育園及び同保護者会、婦人会及び中年婦人会、若い仲間の会、民生委員会、老人会連合会、身体障害者福祉協議会、人権擁護委員、農業委員会、商工会、丹波陶磁器協同組合、町職員組合、丹波農協今田支所、運動団体支部の各代表による計43名を役員として組織された。

 そして、日本国憲法及び教育基本法の精神に則り、人間の尊厳を重んじ、基本的人権及び自由と平等を保障し合うことを基本理念として、民主化を図る同和教育を強力に推進することを目的としている。

 そして、
 @同和教育に関する研修会
 A同和教育に関する各種資料の収集と啓発を主な事業として、地域や団体ごとに同和教育の徹底を図り、指導者の育成、資料の作成、研究大会の開催など、積極的な取り組みをすいて進して現在に至っているのである。

今田町同推協の軌跡
 結成当時、多紀郡内をはじめ丹有地区内において結婚差別をはじめ部落差別事象が続発した現状を踏まえて、本会役員は解放運動とかかわり連携を保ちながら、同和問題の早期解決を図るべく組織の充実など、積極的な取り組みをすすめてきた。

 同推協の主目的である同和教育に関する研修会については、住民同和学習と団体同和学習により、結成以来、部落差別をはじめあらゆる差別の解消と、心豊かで幸せな町づくりをめざす積極的な学習活動を積み重ねてきた。

 同推協が結成されてまもなく発生した度重なる差別事象による糾弾会の経験は、住民の意識改革の促進に拍車をかけた。

 こうして、差別をしない、させない、許さない人づくり、町づくりをめざした住民学習が今日まで継続されてきたのである。

 当初は、原則的に各集落単位で年一回以上の学習が行われてきたが、1978(昭和53)年以来、年三回開催されるようになり、団体学習も年二回以上とすることとしたのである。

 1981(昭和56)年からはその成果をふまえた同和教育研究大会も開催されるようになった。

 今田町同和教育推進協議会の主要事業のひとつである同和教育研究大会は、同推協発足以来取り組まれてきた住民学習や団体学習の成果をさらに高め、部落差別解消への取り組みの輪を広げるために始められたもので、1981(昭和56)年11月に第1回研究大会が開催された。

 町民及び職域関係者多数が参加し、「くらしを見つめ、くらしに生きる実践活動をすすめよう」を大会テーマとして、講演会や分散会討議によって研修を深めるこの大会は、以後毎年開催され、2000(平成12)年には第20回大会を迎えることになっている。

 同和問題の解消を自らの課題として取り組み、差別のない住みよい町づくりを推進するためには、その核となる指導員や地域リーダーの充実した資質と積極的な活動が不可欠である。

 そのため、今田町教育委員会では1978(昭和53)年以来、同和教育指導員と同和教育維進員の制度を施行し、主体的に教育・啓発の充実を図ってきたのである。

 それと機を一にして、同推協も各理事の互選による常任理事の制度を取り入れることになったのである。

 1979(昭和54)年の春、6年間務められた大西会長が引退されると、二代目の会長として清水近夫氏が就任され、20年間、リーダーとして熱意と信念をもって務められ、1998(平成12)年からは熊谷勉氏が就任され、現在に至っている。

 今田町同和教育推進協議会は結成以来、差別の現実から深く学び、解放運動と連帯し、部落差別をはじめあらゆる差別をなくする活動に一貫して取り組んできた。狭山の現地調査をはじめ東京都内や兵庫県下での狭山中央決起集会に積極的に代表を派遣してきたのである。

 また、結成以来28年間、終始、鋭意「差別のない明るい町づくり」に取り組んできたが、1999(平成11)年の新しい篠山市の誕生に伴いその幕を閉じ、篠山市同和教育研究協議会今田支部として再スタートを切ったのである。

課題と展望
 これまで、同推協としての営々とした取り組みの結果、同和問題をはじめあらゆる人権問題についての認識は徐々に広まり、人権尊重の意識が深まってきたことは確かである。これまでの長きにわたる教育・啓発の効果があったことは否めない事実である。

 しかし、「差別はいけない」という意識は定着してきているが、この問題に対する自らのかかわりに気づいていなかったり、学習内容を日常生活に生かしていこうとする姿勢に欠けていないか、この際、もう一度振り返って考えていかなければならない。

 特に、住民同和学習会は地道な、草の根の取り組みであるが、最近では、その参加者の数が減少気味である。当然、参加者の固定化がすすみ、大切な教育・啓発の効果も薄くなり、学習会も形式に流れていく。

 今後は、この住民同和学習を生涯学習に位置付け、人間としての生き方の学習としてだれもが積極的に学んでいこうとする教育・啓発のありかたを追及していかなければならない。

 また、長い間続けてきた学習についても、学習方法や学習内容及び学習教材の選定など、まだまだ課題は多い。今後、時代の流れに沿ったより良い学習のすすめ方を考えていくことが大切である。

 私たちは共に生きる社会の構築をめざし、同和問題を人権問題の主要な柱として位置付け、差別の現実から深く学び、生活を高める同和教育を今後とも地道にしかも着実にすすめていかなければならない。