西暦 |
元号 |
篠山小学校 |
関連の出来事 |
1913 |
大正
2 |
篠山尋常高等小学校 |
丹波で珪石発見 |
1941 |
昭和16 |
篠山国民小学校と改称
(児童数1,025人) |
第2次世界大戦に突入(12月8日) |
1945 |
20 |
縁故疎開等により転入児童が急増 (児童数1,460人) |
日本敗戦。在日本朝鮮人連盟結成。民族学校設置運動広がる。県内に56校創設。 |
1946 |
21 |
紀上朝連初等教育学院設立(3月13日より、上立町の公会堂(別名「孔雀会館」内)篠山国民小学校、男女共学編成となる。
(児童数1,266人) |
GHQ朝鮮人帰国者の再入国を禁止 |
1947 |
22 |
篠山小学校と改称
(児童数1,063人) |
外国人登録令実施。新憲法施行。文部省通達「在留する朝鮮人児童は日本人と同様、就学義務がある」 |
1948 |
23 |
(児童数1,062人) |
大韓民国政府樹立・朝鮮民主主義人民共和国政府樹立。朝鮮人学校へ第1次閉鎖令に対して各地で抗議デモ。兵庫県庁周辺に大デモ隊、「阪神教育闘争」起こる。兵庫県知事、学校閉鎖令の撤回等を署名。GHQ,非常事態宣言発表。 |
1949 |
24 |
紀上朝連初等教育学院、上立町の孔雀会館を返還(11月10日)、その後西新町の朝鮮人宅に移転。県職員が西新町の学校閉鎖命令書を持ってくる(篠山新聞1949年11月25日付) |
朝鮮高級学校創立、県内の朝鮮学校20校(4,800人)となる。 |
1950 |
25 |
次第に居住地の公立学校へ分散入学(4月)。多紀郡地方事務所と朝鮮人連盟貴紀上支部で「覚書」交わす。分散入学が最も多い篠山小学校に課外学級を設置する(12月)。
朝鮮人教員赴任(12月31日付、田中信・鄭哲) (児童数1,076人) |
兵庫県・兵庫県教育委員会が朝鮮人代表と覚書「朝鮮人学校閉鎖に伴う朝鮮人子弟教育について」を交わす(3月)。
市立伊丹北中学校等4学校に民族学級、尼崎市立西小学校等8校に(朝鮮人)分校を設置して朝鮮人教員を県教委が講師派遣する。
伊丹の北中学校の辞令は8月31日付。 |
1951 |
26 |
朝鮮人児童11人が入学し(1月)、計34名となり、課外授業が始まる。(児童数1,070人) |
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1959 |
34 |
朝鮮人教員(金貴同)赴任
(児童数1,049人) |
この頃、大芋小学校の朝鮮人卒業児童が多くなる(4人〜6人)。 |
1965 |
40 |
(児童数683人) |
日韓基本条約調印 |
1974 |
49 |
小学校内に篠山養護学校設立 |
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1975 |
50 |
(児童数485人) |
伊丹北中学校の朝鮮人教員、不当解雇(6月)。解職処分取消の民事訴訟。 |
1984 |
57 |
(児童数371人) |
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1983 |
58 |
朝鮮人教員退職(3月) |
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1984 |
59 |
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提訴中の教員、他界(3月) |