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□日 時 平成13年10月15日(月)
□場 所 篠山市民会館大会議室
講 師 人権教育指導員 植 村 満 氏 |
おはようございます。この4月から市の人権教育指導員という形で、嘱託を受け同教の丹南支部を担当しておりまして、丹南支部の住民学習に関わらしていただいております。
始めにというふうに書かせていただいておりますが、始めに同対審答申からですね。聞き慣れない人も久しぶりに聞くなという人もいらっしゃることだと思いますが、同対審答申、同和対策審議会というものが1960年今から41年前に政府の諮問機関という形で同和対策審議会でつくられました。
それでは、何を諮問したかというと日本における部落差別の実態、部落の環境について諮問し今後政府がどのような対策を講じていくのかというふうな諮問を受けまして、約5年1965年に約5年間かけまして答申を作り上げました。
いろんな政府の機関で審議を行って、5年もかけて日本における部落差別の実態、部落の環境状態について研究し諮問され検討され答申という形でまとめられました。さて、その答申ですけども、その当時の部落差別の実態ですが大きく分けて二つあると言われています。実体的差別と心理的差別の二つに分かれています。
実体的差別というものはどういうものかというといわゆる環境ですね。見た目で分かる。田舎ではあまりないのですが、1960年代当時の部落の実態というものはどうであったかというと、都会の中でしたらどぶ川沿いにバラック小屋を建てて、見た目、的にも非常に劣悪な環境であった。
そういう実体的な差別がある一方、人間の心理心の中ですね、心理的差別というものがある。「あそこが部落や」というような心理的差別がある。この答申では、この実体的差別と心理的差別が相互に関係しあって差別を増幅させているんだという答申です。
環境が悪い。だから、それを見た人の「やっぱり部落は汚いんだ。環境は悪いんだ。」という意識が更に環境を悪化させてしまう。この繰り返しによって部落差別は劣悪な環境であり、どんどんと差別が温存助長されていくという答申がまとめられ、それで、この問題解決にあたっては国の責務であり国民的課題であると出されたわけです。
こういう答申を受けて政府は何らかの方策を立てないといけないわけですね。答申では実体的差別と心理的差別が相互に関係しあっていると答申を出しました。そうしましたら、政府はどう考えたかお役所はどう考えたかと言いますと、相互に関係しあっているのであれば一つの要因を取り除ければ問題解決できるぞとこういうふうに考えたわけですね。
ですから、一番手っ取り早く目に見えてできること、要するに環境改善であったわけです。環境改善を主にやることによって差別はなくなるんだという形で事業を展開しました。この事業が色々な名前を変えながら展開されまして、来年の3月いっぱいをもって終結し、いっさいの事業が終わります。
さて、そういう形で事業展開が地域の改良・環境改善ということで進められてきたわけですが、果たしてこの40年間で差別は解消されたのかというと、悲しいかな差別はやっぱり残っていました。差別が無くなったと思う人はいませんね。悲しいかな差別は温存助長されているという現実があります。
政府としては目に見えてお金のつぎ込みやすい事業展開というものに力をつぎ込んだ故に、心理的差別というものを見逃したわけではないが、そういうものを人間の気持ちの中というものが変えられないという形でやってきましたので、事業をというか人間の心理という部分の差別意識に関してなかなか手が出せなかったという 部分がありました。
そういった中で同教とかそのような民主団体という形で人間の心理という差別意識にポイントを当てて心の問題もやっていかなければならないということで、今まで政府と一体となって片や事業、片や心理的という形で民間と一緒になって取り組んでいるのが現状ではないかなと思います。
次に糾弾闘争が果たしてきたものということで書かせていただいておりますが、この1年間解放同盟中心に糾弾闘争が行われてきました。言い忘れましたが、私皆さんだいたいご存じかと思いますが、解放同盟市連協の事務局長も兼ねております。運動的な視野でも話をさせていただきますが、今回糾弾闘争をさせていただきましたけども、過去の糾弾闘争は厳しかったですね。昔でしたら朝方までやった厳しい糾弾会が行われました。
しかし、今はそんな糾弾会はしませんけども、昔はその厳しさが必要であったと思っています。あの厳しい糾弾闘争の中でやっぱり皆さんは部落差別は厳しいものだな、むごいものだなと分かってもらえた。だから、本気になってこれは解決しなければならないという意識にもなったんだと思います。
ですからあの当時はやはり厳しい糾弾闘争が必要であった。でも、今はそこまで厳しくするかといえばそこまでしませんね。やはり、人間の本質を糾すことが重要であったと、そこさえつかめればそこまで厳しくする必要はないと考えております。 さて、続きまして同和教育から人権教育へと書かせてもらいました。先程言いましたように、県連に10年間おりまして、様々な団体、人権団体といわれる民主団体・運動団体と関わりをもたせてもらいました。
同和教育は皆さんご存じのとおり30年以上続けられてきましたが、悲しいかな部落差別というものはまだ残っています。「なんでなくならへんのかな」と皆さん思いませんか。「なんで部落差別なくならへんのかな」と思ったときに社会の中に差別構造があるんだなと。
だから、差別構造がある限り、差別する対象があれば差別するんだなと、だから、障害者差別やら在日差別やら女性差別がまだあるんだなというふうに私は考えています。だから、部落差別だけがこの日本の中で無くなって、他の差別が残ることはあり得ないと思っています。
部落差別が無くなるのであれば他の人権問題に関しても無くなっていかなければならない。その状況になって初めて部落差別は無くなったと言えると私は思います。そう考えると様々な問題があります。ですから、それらを総合的に皆さんで解決しなければ部落差別もなくならないとお考えいただければなと。
そのためには人権教育、全ての人権ですね全ての人日本だけでなく世界規模で人権の視野を皆さんに持ってもらいたい。悲しいかな今アフガンでは罪のない人が亡くなっている、子供女性が被害を受けているこの現状を我々はどう捉えるべきか私はあの映像を見て考えますね。
我々に何ができるのか常々考えながら、あの画面を見ている現状が私自身の中にあります。
次にですね現状をみるという形で差別に遭遇したときそれが差別だと分かる。しかし、指摘できない多くの皆さんがそう思われているのではないでしょうか。何人かのグループでお話しするときに、これは部落問題だけではないですよ、他の人権問題についてもですが、何かおかしな事を言ったときに「この人こんなこと言いよってやわおかしな事を言っているわ」と思うけども、指摘できませんね。
「私はそんなことない、そんなこと言ってはいけない」と思うけども、その人に「それは間違ってますよ」となかなか言えない。だから、私たちはこうした学習、研修を通してそれが言える人間になるんです。そのための研修なんですね。
差別がいけないことは誰もが分かっているのです。ただしかし、それが指摘できない。指摘できるためには何が必要なのか。それは研修なんですよ。そして、自分の中で確信を持つことなんです。自分自身がこれは差別だと思ったときに指摘すると、その人に「何で差別やねん」と言われてもきちっと言い返せるだけの確信をもつ。そのためには学習をする。そのための研修だと思ってください。
だから、年に1回や2回の研修で済むのかなと、逆に皆さんその確信を持つために年に1回や2回の研修で自分で確信をもてるのかな。人権問題を深く深く学習すればもっと自分が学習しなければならないことに気づくはずです。ですから、このような人権学習というテーマであったときには積極的に参加しながらもっと勉強したい、それこそ、図書館に行けば人権にかかわる本はあるのだからもっと読んで勉強したいという気持ちになってもらいたい。
「今日研修があります。えーいかなあかんの」というようではちょっとしんどいかなと思ったりもします。ですから言いましたように指摘できる差別をなくしていくという行動をとるための、また確信を持つための自分達の研修であることをしっかりと認識していただきたい。
次に痛みを知ると書かせてもらってます。肉体的な痛みであれば共有できるが、心の痛みはなかなか共有できないと書かせてもらいました。皆さん経験ありませんかね。朝寝ぼけて起きたときにタンスの角に小指をコーンとうつ。そんな経験ありませんか。職場で「朝寝ぼけて起きたときにタンスの角に小指をコーンとぶつけたんや」と言ったときにニタッと笑ってね「それ痛いんや。ようわかるわ笑ってしまうほど痛い」と言ったら皆さん「それはよく分かる」というふうに共有できますね。このようにある程度経験され多くの皆さんが経験している肉体的な痛みというものは共有できる。痛みを知っているから。ところが、心の痛み、差別されたものの痛みはなかなか理解できない。加差別と被差別というこの関係からなかなか脱却できていないなと私は思っているのです。
今の話の続きではないですが、今回の糾弾中でもおばちゃんが言うのです。「あんたら差別された人の痛みをわかっとんか」と言われます。これは分からないですね。僕は恐らく分からないだろうなと思っています。その人がその立場でないのですから。でもね、それは仕方がないと思ってます。ただ、その人は分かろうとする努力は必要であろうなと思います。「そんなもんわからんわい」では済まない。分かろうとする努力これは必要であろうなと。
自分が如何にその人の立場に近づけるかの努力は必要であろうかな、そのための学習が必要であろうかなと思います。それと、加差別と被差別、反対に差別を受ける側にとって「私らはいつまでも差別をされる」という立場をいつまでもつのかなという部分を私は感じています。
私は被差別部落ですけども、いつまで自分自身が「差別、差別」と言ったままでよいのかなと思います。「そこから脱却しなあかんな自分自身が」と思うんですね。一方で「あんたら差別する側やろう」という言い方もどうかなと思うんですね。
あるむらのおばちゃんは人気者でよくいろんなところで講演をされるようです。そのおばちゃんは差別された体験、自分の生い立ちをいつも話するそうです。大変なことでしんどいことです。そのおばちゃんいつも同じ話ばかりしているなと私思うんです。その話はいいけども、おばちゃんは今まで差別したことはないのかと、どんな気持ちで差別をしたのかを一回話してよと思うんです。
我々は部落差別を受ける立場であるけれども、障害者差別等については加差別の立場に私自身あります。だから、私自身に障害者や女性等に対する差別をする気持ちはないのか自分自身点検する必要があると思います。
自分自身の差別性というものを自分が確認していかなければならないであろう。そこから皆さん出発しなければいけないであろう。だから、差別する人される人というこの構造を何年続けても差別というものは無くならないだろうなと。同じ人間なのに立場が違うだけで差別する人される人というこの構造を何年続けてもクロスできない。お互いがお互いとして一緒になれない。だから、差別する人される人もお互いに自分がどうなのかこうなのか寄っていかないといけない。寄っていかないと差別は解消できないですよ。
「いつまでも私は差別されるんや。俺は差別をするんや」というこの構造を何年 何百年続けても差別は無くならないのですよ。お互いに歩み寄っていこうとする意識が差別をなくしていく。そのためにはお互いを知ること一番大きな問題であると思います。
ただ、この社会これだけ景気が悪くなると差別というものはあからさまに出てきますね。こういうふうな失業の問題があります。例えば、一般の企業でしたら障害者を雇用するといった法律がありますね。何人以上の従業員を抱えるところは何パーセントかの障害者を雇用しなければならないという法律がありますが、それに違反したら罰金であるという法律もあります。
しかし、どうでしょうか一般企業で障害者を雇用しているところはどれぐらいあ るでしょうか。少ないですよね。なぜかというと一般企業の最終目的は利潤の追求であるからです。障害者一人を雇用するために、例えば車いすの人を雇用するのにどれだけの莫大な費用がかかってくるか。工場を広げないといけない道幅を広げないといけない車いすが通れるだけの通路やエレベーターを確保しないといけない。それも普通のものではいけない車いすが通れるエレベーターでなければならない。それによって更に費用が割高になる。このように障害者一人を雇用するのには多くの費用やリスクが伴う。それであったら国に罰金を払っても構わないということになる。障害者の人権雇用を確保する目的である法律であったが、それが不備であるためにザル法になっている。
だから、雇用されないので自分達で自立するという意味で障害者小規模作業所を建てないといけないという社会状況である。まだまだ企業においても社会の中で堂々と差別をするというか、会社の利潤を追求するために差別をするというかこのような差別の状況がまだまだこの社会にあることを皆さん認識しておかなければならないのではないかと思います。
昨年12月には日本で初めて人権というものを焦点にした法律である人権教育及び啓発推進に関する法律ができました。いよいよ日本では21世紀に入って本腰で人権を考えるという形で法律を作りました。
今までは「差別をなくしましょう、差別をしないようにしましょう」という域から「差別をなくす、差別をさせない」という教育に入ったんだと思うんですけども、なかなか国民の間には広まらないようで「なくしましょう、しないようにしましょう」という域に留まっているような気がします。
続いてですね自分の本音を出し合うということで書かせていただきましたが、これは何かと言いますと今日のテーマであります市民意識というものを皆さんで考えていきたいと思っております。
今日私が出させていただきましたのは県民の人権意識ですが、これは県の啓発協会が出したものです。1999年3年前のものです。県民を対象にアンケートをとりました。「21世紀は人権の世紀であると。21世紀を目前に実際に市民の意識はどうなのかと」ということで無作為抽出で三千人にアンケート調査を行いました。返ってきた数は1630件で率で言うと54.3%約半分が返ってきました。21世紀は人権の世紀であると皆さんにも人権の意識をもっと高めていただきたいという思いから三千人にアンケートの協力をお願いして返ってきたのが半分です。「何を書かないといけないんやろ」という感じでこれからも分かりますね人権意識の程度が。ただ1630人の内にはですね白紙で返ってきたものがありました。
さて、ここに同和問題の認知というふうに書かせてもらいました。このアンケートの項目でした。同和地区や部落問題を何から知ったかという問いですね。家族親戚から初めて部落問題について「あそこは同和地区や」というふうに教えられたのが34.7%ですね。学校の授業で初めてこの部落問題について聞いたが23.7%ですね。あとは新聞やら講演会や近所の人というのがだいたい10%を切っています。
年代別でみましたら20代30代の若い人が圧倒的に学校の授業で聞いたというのが多いですよ。若い世代の人は学校の授業で初めてこの部落問題について学校の先生から聞いたと。一方40代になるとこの数字が逆転します。圧倒的に家族親戚から聞いているんですね。トータルしましたらこちらの数字になったということですね。
ですから、今若い人これから10代の人もいるでしょうし小学校に行っている人もいるでしょう。この人たちにとって部落問題を初めて聞くのが学校なんですね。人間の意識というものは大変おもしろいもので、初めに聞く最初の印象によってだいぶん人間形成にも影響があります。学校でこの部落問題初めにであったときに正しく理解しておれば、部落差別というものは段々となくなっていくものと思いますけど、反対に中途半端な先生の教え方であれば逆の方向にいきかねないというふうに学校教育というものが重要なポイントを占めていると思います。
さて、結婚への態度という項目がありました。子供が同和地区の人と結婚しようとする場合比較的年齢層が高い方に対して質問をしています。@子供の意思を尊重する。Aためらえば勇気づける。B反対するが意見が強ければ仕方がない。Cわからない。D家族等の反対があれば認めない。E絶対認めない。その横にアイウエオカというように数字を書かせていただいております。
言っておきますが、これは@がアというわけではありません。順番をバラバラにさせていただきました。皆さん目蓋が重たくなると思いましてわざわざバラバラにしてちょっと考えてもらおうと思いまして書かせてもらいました。
「@子供の意思を尊重する。」と答えた数字さて何番だと思われますか。アイウエオカ六つ答えがあります。皆さん朝寝むたいので大きな声で自分はアとかイとか言っていただければ私としては大変助かります。さて何番でしょう。六つしかあり ませんのでそのうちあたると思いますけど。「@子供の意思を尊重する。」と答えたのはウの45.2%です。「Aためらえば勇気づける。」と答えたのはオの2%しかありませんでした。「B反対するが意見が強ければ仕方がない。」と答えたのはイの28.6%です。「Cわからない。」と答えたのはカの14.9%です。「D家族等の反対があれば認めない。」と答えたのはアの4.3%です。「E絶対認めない。」と答えたのはエの5%です。
自分の子供が結婚したいと連れてきた子供が部落の人であったら、このような結果を出させてもらっていますが、さてこの数字を見てもらいたい。@ABは色々なことがあろうけれども何とか結婚できそうです。色々なハードルはあるけれども何とか結婚できそうでしょ。反対にCDEを見てください。この意見を聞くとちょっと難しいのと違いますか。CDEのパーセントを併せると24.2%です。4分の1は悲しいかなこのハードルは高いかなという数字です。これが実態ですよ。これは私が言っているんではないのですよ。市民の意識という形で県が出しているのですからね。
一方、結婚への態度、比較的若い層の人に質問を出しています。@自分の意思を貫いて結婚A説得して、自分の意志を貫く。BわからないC家族親戚の反対があればしないD絶対しない。同じようにイロハニホ、横に数字をバラバラに書かせていただきました。「@自分の意思を貫いて結婚」イロハニホのどれでしょう。
今度は六つではなくて五つです。あたる確率は高い。言ってくださいよ。別に間違ったからといって怒りませんから。自分の感覚を持ってだいたいこれかなと答えてください。ございませんか。研修の場ですから間違っていても何も問題ありません。@自分の意思を貫いて結婚する人は何パーセントぐらいいると思われますか。
皆さん寝てませんね。仕事中なので寝てはいけませんよ。声出ませんね。時間がないので答えを言います。「@自分の意思を貫いて結婚」と答えた人はロの22.2%です。「A説得して、自分の意志を貫く。」と答えた人はホの49.2%です。「B わからない」と答えた人はニの20.6%です。「C家族親戚の反対があればしない」と答えた人はイの3.7%です。「D絶対しない。」と答えた人はハの4.2%です。
先程と同じような見方をしましょう。@Aは結婚できそうですね。本人ですよ。何があってもお互い頑張って結婚しようということです。BCDを見ていたらどうも結婚できなそうですね。おつきあいをするのも難しそうですね。このBCDを併せると28.5%です。こちらは比較的若い層の人に聞いているのですよ。先程言いました結婚が難しいそうと答えた親の世代で24.2%と私言いました。若い層の人に聞いたら28.5%が結婚難しそうというデータです。
ただし、このアンケートで一番始めに言いました「部落問題をどこで知りますか」については若い層の人は学校がほとんどです。これは段々率が上がっています。一番始めに部落問題にであったときに、どういうふうな教育、どういうふうに教えるかによってその人が部落に対して持つ印象が変わることを言いましたね。
この数字見てください。若い人が「部落は嫌だ」という意見が多いのですよ。これが今の県民意識なんです。篠山は違うと言えるでしょうか。ですから、私はこれから学校の現場における教育が必要で、もっと真剣にやらなければいけないのではないかと思います。一方、そうした子供の意識を学校で植え付けられてきた子供に対して親はきちっと言わないといけない義務があると思いますね。
「おとうちゃん、おかあちゃん今日な部落問題のこと教えてもらってきてん」と言われたときに親としてどのように答えてやるのか。これが、我々大人としての義務責任ではないかと思います。そのために皆さんはこのように研修をしていかなけ ればならないと思います。
続いて同和問題への解決です。同和問題への解決、どのようにしたら解決できるのか聞きました。@社会全体で取り組み自分も努力すべきAそっとしておけば自然になくなるB自分ではどうしようもないC誰かが解決してくれるD地区の人だけの問題、自分とは無関係EわからないFその他とあります。皆さんに少し考えてもらいたいと思います。そのためにわざわざ数字を括弧にあけておきました。
「@社会全体で取り組み自分も努力すべき」と答えた人は何パーセントぐらいあったでしょうか。自分の思う数字を言っていただければと思います。誰か声を挙げてください。60%。他にございませんか。それでは60%を基準にして60%より上だと思う人何人にいますか。手を挙げてください。60%より下だと思う人何人にいますか。それでは、50%より下だと思う人何人にいますか。
正解を言いましょう52.2%です。半分よりちょっと上です。少しほっとします。「Aそっとしておけば自然になくなる」は17.6%です。「B自分ではどうしようもない」は7.6%です。「C誰かが解決してくれる」は2.8%です。「D地区の人だけの問題、自分とは無関係」は1.7%です。「Eわからない」は15.6%です。「Fその他」は2.5%です。「@社会全体で取り組み自分も努力すべき」と答えてくれた方は、52.2%で半分よりちょっと上ですね。それでも半分ですね。
この設問も見てください。これは私が作ったわけではないですが。Aから下、@は自分も努力すべきと書いてあります。これが半分ですね。Aからの分を見てください。自分ではどうしようもない、誰かが解決してくれると考えている人は併せて47.8%ですね。このアンケートは、半分は自分で努力しようと思っているが、あ との半分は人任せで部落問題何のことですかという数字ですね。
さて、ここで見ていただきたいのは、この数字は最初に言いましたね、何人にアンケートを出したのでしょうか。三千人に出したものです。返ってきた回答は半分です。でしたら、半分の答えで「解決をしないかん」と答えた人はその半分です。ということは、4分の1の人が部落問題について自分で解決しないといけないと思っているけれども、あとの4分の3は完全に無関係であるということです。4分の1の人しか部落問題を本当に解決しようと思っていないのです。これが実態なんです。篠山の市民に限ってそんなことはないと言えるのだろうかと私は思います。
このアンケートの最後に自由意見があります。今日の研修のアンケートにもあります。この中で50代の方がこのように言っています。「同和部落を差別するのは40〜50代の人間であって、今の子供は教育によって知るので親とか学校が必要以上に教えない方がよいのではないでしょうか。近い将来部落差別はなくなるような気がします。私は昔から部落地区の人と親密なおつきあいをしています。」とこんな寝ぼけた話をしております。
ひょっとしたらこんな人がほとんどではないでしょうか。こういうことが代表的な意見ですね。「私はしていない」とアンケートでのうのうと書いているわけですよ。これがこの人の部落問題に対する意識なんですよ。皆さんもまだまだ市民の意識はこの辺のレベルで終わっているという意識を持っていただきたいと思います。
さて、次にこのようなものを皆さんより早く黒板に書かせていただきました。総合的な人権学習というふうに書かせていただいております。さまざまな差別と書いていますが、皆さんこんな図を見たことありますか。一般企業で勤められていた方はよくご存じだと思いますが、よく職場での課題というか会社なんかでいいますとコストダウンとかの目標を出します。そのためにはどういうふうにどのような要因で削減できるのか会社でやっています。
このように私は人権という視点で書かせてもらいました。ですから、目標は人権の確立ということにさせてもらいました。自分の人権も大切ですが、私がここに掲げておりますのは全ての人権です。
その中の要因として大きく分けて5項目書かせていただきました。「さまざまな差別」いろいろな人権問題があるんだということですね。それを解決するためには、「暮らし」「環境」「人づくり」「習慣・因習」という課題を見つめていかなければならないということを皆さんに気づいてもらいたいと思いますね。「さまざまな差別」には部落問題、障害者差別、在日の問題があります。在日とありますが、いわゆる在日韓国朝鮮人と新しく入ってきたニューカマーといわれる人達との関わりや問題は別です。
ですから、在日と書かせてもらいますとここに在日韓国朝鮮人の問題とニューカマーの問題というふうに枝分かれします。障害者問題にしてもそうですね。身体障害者、知的障害者、精神障害者の問題といくらでも枝分かれします。女性の問題もございます。高齢者、子供、また職業における差別こんな課題があると思います。これは今私が気づいたものだけで他にいっぱいあると思います。
それではひとつひとつみてみましょう。例えば在日の問題を考えてみたいと思います。在日というのはくらしの中で見ますと例えば学校の問題があると思いますね。言いますと在日韓国朝鮮人の方にとって民族教育というものが学校教育の中で大きく関わっています。この学校では日本の通名ではなくて本名を名乗っていくという厳しい戦いを抱えています。家庭や職場の中で自分達の暮らしとどのように関わっているのかという問題もあります。
それと、ここに入れて良いものかわかりませんが、世間体というものも入れておいて欲しい。一方、環境をみてみましょう。今、言いました在日の課題で学校も取り上げましたが、在日に対する職場での取扱の問題とか、今一番大きな問題になっているものとしては、ペルーやブラジルなどのニューカマーの問題ですね。学校の他にいざ結婚という問題になると在日の人たちも関わってくるでしょう。在日の問題を考えますと、法的な整備が不十分だなと私は感じます。日本で生まれ日本で死んでいこうとしている2世3世の人がいますが、未だに選挙権はございません。
今まで一生懸命税金を払ってきて、選挙権がなく人を選べない。そういう意味では福祉の問題もありますね。因習慣習という部分に関しては、在日の人は在日の文化をもっていますね。それを自分達で受け入れるのか受け入れないのか。今「違いを認めあいましょう」とよく言いますよね。他文化共生という課題。それぞれの習慣というものはここに入ると思います。
一方、人というものをどのように育んでいくものかなと思います。また、感性というものをどのように育てていくものか、そのための教育はどうすればよいのか。まだまだ残っている意識。人の中には世代もありますね。こんなふうにありますが、今言っているのは全て在日をテーマにしています。在日の人という意識の問題は世代によって大きく違いますね。それに対して在日というものの教育はどうなのか、意識、感性というものはどうなのか。
一方、障害者の問題を考えてみましょう。職場の中でどれだけ雇用されているのか、学校の中で障害者はどう扱われているのか。障害者基本法というものが制定されているがまだまだ不十分ですね。環境では、通路のこととかバリアフリーのこととかあります。障害者については、因習とかがあって先頃ありましたハンセン病の方に関してどのように昔から言われてきたかと思います。
続いて女性における職場の問題ですが、皆さんいかがですか、学校、家庭においてもどうなのか考えてください。まだまだ、女性が社会進出できない世間体があるから。男女共同参画社会基本法、もっと自立しないといけないのかなと思います。女性については穢れとか迷信という問題がありますね。
ひとつずつ話していくと時 間がありませんので、何が言いたいか結論を言いますと、このような差別を克服する問題は、暮らしやら環境の中で、例えば「女性問題について解決しないといけない。法律、穢れの問題ももっと学習しないといけないのではないか。人間の意識についてもっと考えないといけないのではないか。職場での私たちの権利はどうなのか」というふうに自分に置き換えて考えたとき、障害者問題も部落問題も同じところに行き着くことに気がつくと思います。
ですから、反対にいえば自分達が部落問題だけを学習し解決していこうとすることによって、このような職場の問題やら世間体、法律の問題を学習すると障害者、高齢者、女性の問題と同じだということに気がつきます。ですから、部落問題は「人ごとではないのだ。他人事ではないのだ」ということに気がついて欲しいと思います。
それぞれ人権というものを視点においたとき、色々な課題はあるものの、色々な課題は全ての人権に通ずることであるということを皆さんに気づいてもらいたい。「えーまた部落問題かい」という感覚ではなくて、それを自分達でどのように置き換えていけば自分達の生活が豊かになるのか考え気がついてもらいたい。
余り時間がございませんので、どうしても触れなければならない課題がございます。あいさつでもありましたが、今回の3月1日に一報の匿名の電話を受けて発覚した窓口対応差別事件でございます。皆さんは、その事件を受けて各所属課において職場研修を行ってきたものと思います。ですから、事件の概要については、時間もありませんので説明いたしません。ただ、今回の事件のポイントだけ押さえておきたいと思います。
まずはこの事件のきっかけとなった住民がいます。やはり、住民の中には部落地区に対する偏見とか差別意識というものを内在している人がいるんだということです。ここから物事を発展させなければならず、「いるんだ」ということを前提にしなければならないのです。「もういないだろう」ではないのです。
今回対応した職員ですが、問題になっているのが職員の人権感覚というものが大きなポイントです。その人がどのような人権感覚をもっているのか、人権感覚というものは研ぎ澄まされるものであり1日や2日で養えるものではない。何回も繰り返しますが、人権感覚というものは、研ぎ澄まされなければその感覚に触れても何も感じません。ですから、触覚のようにその感覚に触れたときどのように自分達で研ぎ澄ましていくのかが必要となります。
もう一つこの事件の大きな問題は、黙っておれば分からないだろうという人の意識や隠蔽の問題ですね。だから、皆さんこの事件に関してそれぞれ受け止めなければならないことは、まずは自分も多かれ少なかれ失敗したときは隠そうとする意識があるということ、また、それをどう学習し克服していくのかということです。
今回の隠蔽ということに関しては、いったんは隠そうということになったが時間が経つにつれて、それぞれがこれに関わった人間がバレるんではないかという思いにさいなまれる。だから、バレる前に自分から言ってくるのです。そういう人間の行動を皆さんしっかり覚えておいてください。
今回、解放同盟が糾弾会という形でやらせていただいたのは、本人達の差別意識を明らかにするということも一つですが、篠山市の行政の職場の中において、「黙っておれば分からないのではないか」という体質があるのではないかというところを糾すことが今回の一番の目的であります。
個人がやる差別事象であれば、本人に対して反省を求めますが、あえて解放同盟が糾弾会と称して取り組んだ姿勢は、この行政の体質を糾すことが一番のポイントだったんです。
今回のこのような糾弾会等々を含めて、何が見えてきたかというと、これからの窓口の学習にもなると思いますが、窓口で部落問題とかを口にして来るような人はまず良いことでは来ないということです。そのことをしっかり覚えておいて欲しい。部落のことを知って何かで利用してその人が得をしたいと思っているんです。そのことに差別意識があるということをしっかり押さえておいて欲しい。
ですから、この部落問題を通じて先程言いました触覚、人権感覚を磨くことによって他問題、高齢者、障害者、女性問題も出てきますが、「おばあちゃんが窓口が分からんとウロウロしとって、みんながボサッとしとってあの人何しにきているんや」という感じでいるのか、「おばあちゃんどないしたん」というふうに声をかけるのも人権感覚を磨くことになるのです。
部落問題だけでなくあらゆる人権感覚を磨くというのはそういうことなんですよ。私がこれだけしつこく言うのは、みなさんが市の職員だからです。皆さんも市民は市民ですが一般の人ではないのです。でも、それ以上に市の職員であるから人権感覚を磨かなければならないと言っているのです。皆さんにはそれだけの市民生活を守る責任・責務があることを自覚しておいて欲しいと思います。
この事件で当初の対応がまずかったですが、皆さんも失敗することはあります。しかし、隠そうとする体質ではなくて失敗したとしても周りの人がフォローしていくんだということもしっかり職場の中で培って欲しいと思います。それができないために職場の中で黙ってしまうような体質になってしまうんです。
このテーマで皆さん各々の職場で学習したことと思いますが、どのように思われましたか。皆さん「バカなことしたな。なんでそんなこと言うたんやろ。」とかこの事件を聞いたときおよそ思われたんではないでしょうか。私はこの事件を聞いたとき怒りました。皆さんどう思われますか。まだ「アホなことを言ったな。バカなことを言ったな。」という感覚なんですよ。私は情けないです。なぜ、腹が立たないのか怒らないのかこんな事件を聞いて。明らかな人権侵害の事件に対してなぜ皆さんは同じように怒らないのかなぜ同じ感覚をもちいていなのかと私は思います。
その感覚を皆さんに持ってもらいたいです。言いましたように皆さんは市の職員であり、皆さんはすべて市民の生活また人権を守らなければならない義務があります。「皆さんはどうして人権侵害に対して怒らないのか」と私は言いたい。この研修を進めるまでに皆さんならどういう対応をするのか話し合ったと思います。その中で多くの方が言われた率直な意見としては、「自分やったらどんな対応をするかな。ひょっとしたら同じような対応をするかもしれない」と皆さん率直に言っているようです。
一見それは皆さんなかなか飾らずに率直な本音を言っていると評価したいところですが、これを聞いて私はまた情けなくなる。何年、何十年も研修してきてまだそんなことしか言えないのかと思う。どんな対応でもこの事件に関して自分が怒りを持てと言いましたけど、どんな言葉でもいいんですよ。
ある人から部落について聞きに来られたとき「何を聞きたいのですか。どうされたのですか。」と聞くのも一つであるが、どのように受け答えするかというマニュアルを頭で勉強するよりも、「あんた何を言うとるんや」という感覚を持ってもらいたい。何を言って良いか分からなくて頭が真っ白になり相手をどついていたでもいいじゃないですか。どついたらだめですけど。頭が真っ白になって「ああそうですな」と答えるよりはましだと思います。そう思いませんか。私はそういう感覚を磨いて欲しいと思います。
どのように対応してわからんかったら大声上げて「誰か来てください。この人おかしなこと言ってますよ。」と言ってもいいじゃないですか。そんなマニュアルのようなきれい事を言うよりは、職員は人権侵害に対してはきっちりと防波堤を作って普通の市民であろうがなかろうが指摘するんだと、人権侵害に関わることには絶対に許さないという態度を私は持ってもらいたい。
そして、このような厳しい話をさせてもらいながらですが、実は嬉しい話がありました。この糾弾された事件が●●支所で起こったのは、2月13日でした。実は先月9月29日の土曜日の話ですが、場所は●●支所です。土曜日でしたので日直でありました。でも普通通常業務ではありませんので、日直が対応することになっており各支所に張りついております。
29日の土曜日1時30分昼過ぎのことですが、年齢としては50歳ぐらいの夫婦が見えられて、●●町の観光案内所はありませんかと尋ねてこられました。担当の日直の方は「この辺にはありませんが、どのようなことでしたか。」と言いましたら、男性の方が「●●町の地図がほしい」と言いました。「どのような地図が欲しいのですか」と尋ねましたら、男性が「●●町の集落が記載されている字名の入った地図が欲しい」と言いました。
たまたまこの日直の方は、●●支所に勤務されておらず別の支所に勤務されておりましたので、現場のことを十分に把握しておらず「日直ですのでここにおいてあるか分からないのです。観光用のパンフレットならありますが。」と言い2つ渡しました。そして、「観光用のパンフレットでよければ、篠山の観光案内所に行けばもう少し詳しいものがあるかもわかりません」と答えました。
そうすると、女性の方が「電話帳を見せてください。」と言いました。日直の方が「どうぞ、いいですよ」と言って渡したときに、今度、男性の方が「言いにくいことですが、●●町内に部落はありますか」と尋ねてきました。
実は、私この日直の方にお会いさせていただきまして、その時どんな気持ちであったのか感想を聞きたかったのです。「●●町内に部落はありますか」という問いに対して、咄嗟に「どうしたらいいのかな」と一瞬頭をよぎったそうです。「その問いにはお答えできません。部落とはどういう意味ですか。」というふうに切り返 しています。相手の男性の方は、「すみませんでした。特に深い意味はありません。」 と答えました。矢継ぎ早に日直の方が「深い意味とはどういうことですか。」と尋ねました。すると男性が「部落については特に偏見はもっておりません。単にお聞きしただけです。」と答えました。
また日直が「あなたは部落に関して間違った考え方をしていませんか。私は今まで部落について学習をしてきた市職員として先程のお言葉は何かおかしく感じますが。」と言いました。男性は「どうもすみませんでした。私も教育を受けてきてよく勉強しています。今回私が聞いたことは間違っていました。すみませんでした。すみませんでした。」と謝っていました。女性も同じように「すみませんでした。」と謝っていました。日直の方も2回3回とわたって「本当に部落について間違った考えを持っていませんか」と問い直しています。同じように相手側も「もっておりません。すみませんでした。すみませんでした。」という形で謝って帰られました。
日直の方はわざわざ駐車場まで追いかけて、「地図を持っていないかとか電話帳を見せて欲しいという行動を振り返って本当にあなたはもっていませんか。」と聞き直しています。それで男性は「もっておりません。」と言い残してそそくさと帰られました。そして、車の後部座席には80歳ぐらいの男性の方が乗っていたということです。本人は一応ナンバープレイトも控えていたんですが、神戸ナンバーであったということです。ただ、神戸ナンバーだったので篠山の人かと思うけども、会話の中で●●町と旧名を使っていますので、篠山市でないことは確かですね。おそらく、どこか遠くからあまり合併したという感覚なしに、旧の●●町という旧名を出して問い合わせに来ている事実がありました。
なぜ私がこれを出すかと言いますと、2月の時にはとんでもない対応をしてくれたけども、幸いそのことを通じて職場で研修してくれたことによって、今回の100%とは言いませんけどある程度の対応をしてくれました。やはり、これは研修のお陰でであるかな、研修をしていてよかったなと私は思っています。私は彼に言っているのですが、「今度あんたいろんな職場研修で引っ張りだこになるで。」と言いました。今まで皆さんよく研修で差別された経験の方の話を聞くと思うのですが、今回の事件は一応適切な対応をしたということで、恐らく同じ立場の人の経験を聞くという研修はなかったと思います。その時の気持ち、その時どうしたらいいの ということを皆さんで一度じっくり学習していただきたいと思います。
私がもう一つ思うのは、2月にあった事件が今度9月にありました。篠山市内に年に2回ありました。篠山市は今年当たり年ですか。違いますね。こんな聞き合わせは過去にもあったのかなと疑ってしまいます。それが、今回たまたま日直の方が勤務先でなかったので地図を出せなかったが、その職場の職員であれば気軽に地図を見てくださいという形で何の疑いもなく渡したのではないかと思います。
たまたま、相手の方が地図がないために焦って部落という言葉を口に出したから、これは部落問題であると気づいたと思うんですが、これが自分の職場で地図というものがどこにあるか分かっていたら、何気なく見せていたんではないかと思います。ですから、いろんな手法で相手は聞き出そうとしている。それに我々が気づくか気 づかないか、ひょっとしたら過去に気づかずにそういう対応をしてしまった人もいるかも知れません。
そういう意味では、皆さんは怖いというか危険な職場にいるんだなと思います。本人にまた私しつこく聞きました。そういうふうな対応をしたことに対して3日間眠れなかったそうです。毎晩毎晩寝る前にあの対応でよかったのか悩み今も整理がつかないそうで、私は嬉しく思いました。一日で忘れてしまうのではなくて、3日3晩寝られないでそのことを自分の問題として捉えて問い直すこの営みが大切であると私は思うんです。
このことを同じ同僚の意見として自分の課題として経験談を聞くことは皆さん大切であると思います。それと、もう一つは人間不信になったと言っていました。対応した人はまだ若い方ですが、以前のこの研修を受けてもまず自分が対応することはないであろうと思っていたであろうし、やはり研修といってもいわゆる職場研修の一つとしか認識していなかったし、心の中ではそのような人はいないであろうという感覚を持っていたと思うのです。
ところが、この事件を通じて人を信じられなくなったと言うのです。私はそれもうなずけるかなと思うのです。私も逆にどれほど人を信じてきたのかと言われれば分かりませんが、これが一般社会の現実なんだ、反対に言えば差別をする社会なんだという現実をまざまざと見せつけられたというふうに本人は感じていると思います。これは本当に貴重な体験であったと思います。私は「君は本当にいい体験をしたなあ」と彼に言いました。皆さんも今度研修するときには積極的にこのような題材で他人事ではなくて自分達の課題として同僚の声を聞くのも非常に勉強になると思います。
それでは、余り時間の方がありませんのでまとめに入らせていただきますが、部落問題は部落の問題ではない。女性問題は女性の問題ではない。障害者問題は、在日外国人問題は、高齢者問題はというふうに書かせてもらいましたが、私今図解で説明させていただきました。さまざまな人権問題というものは当事者の問題ではなく、それぞれ関わっているということを皆さんあらためて確認していただいたと思いますが、部落問題は部落の人の問題ではないですね。よく言われていますね。皆さんよくわかっていますね。部落問題は部落の人の問題ではなくて部落外の人の問題なんです。同和地区といわれている以外の人の課題だと思います。
一方、女性問題は誰の問題か女性の問題ではないですよね。男性の問題ですよね。差別するのは男の問題ですから、男が勉強して差別しないようにしたらよい。障害者問題は健常者の問題ですね。在日の問題は日本人の問題なんです。高齢者は若い人です。子供は大人の問題です。
やはり、このように問題というのは当事者の問題ではなくて、それを取り巻く周りの人の問題なんです。そう考えたら、私はどうなのか、どんな問題にかかわっているのか、どんな課題に取り組んでいかなければならないのか自分自身に問い直してみてください。
私は幸いにして部落出身ですから、部落問題については少し手を抜いてもいい。女性問題は私が男なので私の問題です。在日の問題は私が日本人なので私の問題です。障害者の問題は私が健常者なので私の問題です。私はここに挙げただけでも様々な問題に自分の課題として取り組んでいかなければならないと思っています。
皆さんはいかがですか。自分が取り組まないといけない問題はいくつありますか。それを自分の課題だと思って考えてください。それで、それぞれの問題はどうなのか一つ一つ課題として取り組んでいくことは、全てに通じ自分達の生活を豊かにすることにつながるのですよ。
これが、私は同和教育であり人権教育であると思っています。そのようないろんな課題を持ちながら、それを克服していく取り組みが全ての人権確立というものにつながっていくし、それがかえって自分達の暮らしを豊かにし、人にやさしくできるようになると思っています。
それでは最後に、同和教育と人権教育はお互いに豊かにし幸福を求める営みであるとまとめさせていただいております。私少し早口でお話しをさせていただいたので、予定よりも若干早めに終わらせていただきますが、アンケートを皆さんで書いていただきたいと思います。大変つたない話で聞き苦しかったかと思われますが、おつきあいしていただいてありがとうございました。