礼二と共に28年間

 障害者を持つ一人の親、杉原一三さんが我が子と歩んできた28年。折に触れ、あちこちでお話になられたレジメの掲載です。

一部ひらがなを漢字に、漢字をひらがなに、また句読点を変えましたことをご了承ください。

礼二と共に28年間
H.11.6.22日のレジメ

昭和46年4月22日  宝塚の産院で誕生(8ヶ月の未熟児,体重1.9s)。生後、風邪のビ−ルスが原因で脳髄膜炎を発病し、伊丹の未熟児センターに入院。その後、髄膜炎の後遺症で水頭症になり、大阪市立小児保健センターに転入院致しました。

昭和46年11月21日  礼二が少し成長し、体力が出来た段階となり、頭部にシャント埋め込み手術が5時間にわたって行なわれ、私達家族も心配と不安で疲れました。
◎シャント…普通我々の脳髄液は、障害がなければ100%異常なく循環しておりますが、彼の場合はバイパスを作って物理的に髄液のオーバーフローすることが必要となります。そのためのバイパスを埋め込む手術です。

昭和53年4月  地域の幼稚園に入学,身体のバランスが保てない。

昭和54年4月  篠山養護学校に入学後、3年生までにポンプの交換手術を6回程度受けました。従って1年〜3年まで殆ど病院生活であったため、学校での基本的な読み書き、計算の教科が出来ておりません。この段階で普通校への転入も換討致しましたが、現在ほど周囲の障害児に対する教育的な環境が整っておりませんでした。

昭和60年3月  その後、篠山養護学校の小学部から中学部に進む時期を迎え、将来、本人の地域での自立性を養うため、自宅までの送迎バス通学を止めて、自転車→JR→バス→徒歩→養護学校(所用時間 約1時間)の自主通学を、春休みの毎日を利用して母親が訓練を実施致しました。
 また、生活地域の人々に礼二を理解していただくためと、本人が新聞を通じて「」を覚えることをも考えて「新聞配達」を通学前の時間を使って実施しました。

昭和63年4月  当時、篠山養護学校には高等部がなかったため、県立氷上養護学校の高等部へ進学しましたが、篠山養護での「自主通学」が大いに役に立ちました。

平成2年3月  県立氷上養護学校高等部を卒業し、地域にある一般企業に勤めることになりました。
 自宅から自転車で15分位の所にあるブラインドの生産工場です。この工場は、高等部在学中の1学年の春、夏の休暇中に親が一緒に実習致しました。
 この間、経営者や従業員の皆さんには、礼二の障害についての理解はある程度していただいていると考えておりました。
 しかし、実際の勤めになりますと、単なる実習と違って、ちようどバブル景気の最中で忙しい時期でもあり、企業の効率主義的な点を経営者から持ち出され、経営者も礼二の為に色々と工夫はして下さいましたが、結果的には会社内で礼二を雇うことによるマイナス面をカバーするため、親のサポートを要求されました。
 単に身体的な障害のみであれば工夫することにより対処できることもありますが、とっさの判断や応用が不得意な「知的な障害者」には無理な仕事であると判断して一年で退社いたしました。

平成2年4月  その後私達もあちこちと訪ねておりましたが、なかなか礼二に適した所はありませんでした。
 氷上郡の通所施設が開所を控えて勧誘もありましたが、親としては何とか「自立につながる働く場」と考えており、多紀郡(現在の篠山市)で頑張りたいと考えてお断りしました。
 そんな時に現在の「ワーキングたんば」を一緒に運営しております二人の仲間(岸本さん、岡さん)の通っておられる、多紀郡の最北部に位置し、西紀町にあります「シヤクナゲ農場」にお世話になりました。
 経営者は、ご夫婦とも阪神間にあります重度障害者の入所施設に勤められおりましたが、そこを辞められて昭和60年より上記の土地で、主に有機飼料、無農薬による「養鶏」や「野菜づくり」をされております。
 障害者にご夫婦とも理解があり、うれしく思っておりました。しかし、私の自宅からやや遠方であることと、「作業所」としての運営面と経営者個人の収支に関しやや不明瞭なこともあり、参加している親三人が日夜経営者と話を重ねました。
 その結果経営者には申し訳けないが、親三人で独立して、障害を持っている若い彼等のための「働く場」、「生きる場」としてのもの、従来の施設的な側面のみを強調した「作業所」ではなく、まず、知的な障害はあっても、身体や感情は何ら一般の若者と変わらない彼等に「働く意欲」と「生活する自信」を養い実践する場としての「作業所」を目指して取り組みを致しました。

平成4年4月  いろいろ検討の結果、4月に岸本、岡、杉原の三人の親と篠山養護学校在学中の保護者の一人の合計四人の親と、それを支えて下さった数名の協力者により、さらに我々の「開設趣旨」に賛同いただいた郡内外の多くの皆さんの募金による暖かいご支援により、 兵庫県下で47番目の通所の小規模作業所「ワーキングたんば」として篠山町の中心地に開設することが出来ました。

平成4年8月9日  「ワーキングたんば」の「パン工房」を開所。その1年後に、女子の「働く場」として、現所長さんのご厚意で「茶房マロン」が開店致しました。

平成498月9日 開所以来5年目になり、その間スタッフとしての指導員の方も若干交替がありましたが、現在は二人の指導員と4名のパートの方と7名のメンバーが「パン工房」で、また「茶房マロン」では2名の女子メンバーがそれぞれ現在働いております。

 障害を持った人々が「地域で当たり前に生きる」とは何かを考えますと、未だわが国では多くの人たちが「障害者(児)だから」という先入観を持っておられること、また親ご自身が自分の子供さんを「障害者だから」と言って「過保護」にしておられることがありはしないでしょうか。

 その結果、成人の年令になっても親ごさんの「子離れ」が出来ない。勿論障害の内容やその程度は様々ではありますが、障害ゆえに不得意なところは学校教育を通じて訓練されてきておりますが、日々の生活の場で親が手を貸しすぎて、本人をかえって駄目にしているケースをよく見ることがあります。

 これではすでに遅いと思います。幼いころから普通の子供さんを育てるのと同じように、たとえば、「衣服を着る」、「食事をする」…時間が少し遅くても、毎日の繰り返しで子供達も必ず上達します。それを信じて親ものんびりと子供さんとお付き合いをしていただきたいと思います。

 おとなの常識をあまり子供さんにおしつけない。「そんなことをすると人に笑われる」という大人の「世間体」を気にした「価値観」を変える事が必要ではないでしょうか。

 さらに、将来地域社会で「生活」し、何らかの「仕事」についた場合、本人が困らないためには、「お金の管理」、「衣服の選択と洗濯」,「簡単な食事のための調理」等が日常の最も基本的な事柄かと思いますが、礼二の場合は「お金の管理」以外については、本人もだいぶん上達いたしました。

 これからお分りかと思いますが、知的な障害者には、重度な身体障害者の外出や移動のための介助者が必要なように、生活する上で援助してくれる「ガイドヘルパー」などが必要です。
 親の健在な時にはその必要はありませんが、親亡き後についても、公的な制度としての「成年後見人」が検討されています。

平成11年6月現在  篠山市には、通所の施設としては「多紀通園センター」、小規模作業所として「ワーキングたんば」の「パン工房」、「茶房マロン」と、そのほか「ハートフルたんば」があり、県独自の事業としての知的障害者地域生活援護事業「生活ホーム・ステップ」を平成9年4月に住山に開設し、「ワーキングたんば」と「多紀通園センター」に通所している4名の若者が親元を離れて毎日たのしく生活しています。

 また 近年全国の「手をつなぐ育成会」や各種の「障害者支援団体」の努力や運動により各種身体障害者や知的な障害者、心身に障害を持つ人々の「地域での自立生活」につながる「就労や文化活動」も少しずつ進んでは来ております。これも全国各地で「作業所」や「生活ホーム」、さらにはユニークな「福祉的就労」等を実践されているたくさんの仲間の皆さんとそれそれを支えて下さる多くの人々の汗と涙の結晶だと思います。

  「多紀郡における障害児者福祉の現状」
平成10年2月5日のレジメ

 現在の多紀郡は、色々な点で大きく変わろうとしている時期であることは皆さんすでにご理解いただいていることと思います。本日の「テーマ」については、たいへん大きなもので、PTAの皆さんに、果たして充分なお話が出来るかどうか自信はありませんが、障害者を持つ一人の親の立場から、手をつなぐ育成会の立場から、日頃私が考えていることや感じておりますことをふまえてお話したいと思います。

 現状をお話しする前に、今日に至るまでの多紀郡における障害児者福祉の簡単な経緯にふれておきたいと思います。

 多紀郡においては、昭和49年4月にスタートした「篠山養護学校」の開校が障害児教育の始まりで、その時がまた「手をつなぐ育成会」、当時は「手をつなぐ親の会」の活動の第一歩になりました。その後、整備がされ、平成6年4月の高等部設置と独立校舎完成で今日に至っています。

 この間、故人となられた九鬼文平先生をはじめ、歴代の親の会会長の長沢誠二氏、藤原哲夫氏、吉田耕造氏及び前会長の稲川彩二氏に至るおおよそ26年の間に、多紀郡において、障害者のための施設としては、養護学校と同様に故九鬼文平先生の献身的なご努力と、現在のセンターに通所されている大部分の園生の親の皆さん達を中心にした「手をつなぐ親の会」の運動により、通所更生施設「多紀通園センター」が昭和60年に開所されました。その当時としては、隣の三田市や氷上郡と比較すると多紀郡では、学校卒業後の障害者の進路として画期的な施設と考えられていました。

 このセンターがつくられた理由の一つは、生前に九鬼先生が口癖のように話しておられた言葉「養護学校に子供達を入学させた時点で、この子が学校を出たらその先をどうするのか今から考えて、それぞれの親が心の準備をして将来を作って行くことが大切である」によるところが大きいと思います。

 この考え方は今日の皆さんに当てはまることではないでしょうか。

 二つ目には、今日ほど障害児者に対する理解や意識、関心が低く、また国や行政の制度的あるいは施策的な支援等も立ち遅れていた時期でもあり、障害者を持つ親の皆さんの意識もどちらかと申しますと、多くの人達は、子供さんの障害について正しく理解せず、ご自分の子供さんを否定的にとらえておられたのではないでしょうか。

 まして、一般就労はもとより福祉的な就労(福祉工場、作業所)に目を向けることもなかったのだろうと思います。

 しかし、わが国において、昭和54年の「養護学校義務化」とそれに続く56年に始まった「国際障害者年」以降には、障害者に関わる様々な制度的な施策の点で、さらに社会的な意識の面でベストではなくとも大きく進んできております。

 このような流れの中で、昭和60年頃より、全国的に学校卒業後の進路の一つとしての作業所づくりがスタートしています。その後、資料にありますように作業所はどんどん増え続け、現在では全国で4,500カ所を超えており、兵庫県下では育成会関係の作業所だけでも 93ヶ所、その他の作業所をあわせると129ヶ所(平成8年)になっております。

 このうち地域の育成会が設置、運営されているところは、48ヶ所あります。多紀郡では、平成4年に「ワーキングたんば」が県下46番目として開設されて今日に至っております。

 開設の趣旨として、例え障害を持っている彼等であっても、出来得るかぎリ一般就労に近い形で、毎日を生きがいをもって過ごすことが可能な「場」として位置付けて行くことを目標としてスタート致しました。別紙の資料にありますように、全国にある様々な「作業所」はそれぞれの地域で、障害者の社会参加の場として、施設退所者や一般就労に失敗した人が地域で生活するための受皿として、就労訓練の場として養護学校生に大いに利用されている。

 現に「ワーキングたんば」では、通園センターから毎日2名の園生が「パン工房」に通っております。これは小規模作業所が法外施設であることの柔軟な利点ではありますが、作業の内容から、身体的に重度な障害者については困難な面があることは否定出来ません。

 従って各地の作業所がその活動内容や機能については多様化が進んでいます。当初の内職的作業から、障害者に適した作業工程などを考慮したオリジナル製品づくリへと移行し、店舗型作業所も増えています。機能的な変化では、障害者のニーズに応える形の「デイサービス」活動、自活トレーニングなど、作業活動よりも障害者の地域生活の支援を中心した作業所も増えています。しかしこれらすべてが、「小規模作業所補助制度」として一律にくくられていますし、その補助額についても全国的にみると著しい地域格差があります。

 多紀郡においても、重度障害を持つ人をはじめとして、多くの人達のそれぞれの課題や期待に応えていこうとしても、法人格がない作業所では、公費支援の裏付けがなく、自主運営も財源的に困難であり、限界があることは否めません。

 これらの問題や課題を解決を可能にする手段の一つとして、認可施設としての通所授産施設の設置整備が必要なことは現時点において明らかな事実です。

(仮称)適所社会就労センター(授産施設)設立準備委員会の協議について

1. 通所社会就労センター設立理由について(別紙1)
2. 施設名 (仮称)  「ワーキングたんば」
3. 施設設置主体   社会福祉法人「わかたけ福祉会」
4. 施設種別      「通所授産施設(適所社会就労センター)」
5. 定   員      30名
6. 設立準備会委員選出 15名〜20名
7. 施設設立委員会構成(設置場所,施設整備計画,施設建設費他)
8. 陳情書(県,町),意見書 (別紙2,3)
9. 設立委員会事務局設置,担当事務委員
10. 設立準備委員会は、下記の諸団体より推薦を受けた者により構成する。
   @「わかたけ福祉会」理事,センター施設長,保護者会より4名
   A郡手をつなぐ育成会    3名
   B養護学校 PTA会長,委員2名,郡障害児学級在籍代表者2名
   C作業所「ワーキングたんば」1名,「ハートフルたんば」1名
   D郡社会福祉協議会     2名
   Eその他委員会で必要と認めた団体より若干名を選出する。

別紙1

社会就労センター建設
「ワーキングたんば」
設立準備会代表       
                       手をつなぐ育成会    
                             杉 原 一 三

                     
◎社会就労センター整備理由

 昭和60年4月に通所更生施設「多紀通園センター」が開設され、養護学校卒業後の「生きがいの場」としてスタートして13年が経過致しました。
 この間、昭和56年に始まった「国際障害者年」を契機として、障害者に関する国の制度、施策や法の整備も進み「地域での福祉施策」も大きく変わってきました。
  しかし、学校卒業後の進路を考える時、多様なニーズをもつ若い障害者の彼等が地域で生きて行くために必要とする「働く場」、「活動の場」については、小規模作業所「ワーキングたんば」、「ハートフルたんば」がありますが今後利用者増加の傾向もあり、財政的に困難な中運営されており現状では場所的スペースも不十分であり、 さらに重度重複障害者のニーズに即した施設が現在郡内においては根本的に不足しており多数の障害者が在宅の状態です。
  このような状況の中で、郡内の重度重複障害者をはじめとしてすべての障害者の地域生活支援をする上でそれぞれのニーズに対応しうる総合的な福祉施設整備として、通所授産施設(社会就労センター)の建設が今こそ不可欠と思われる。



小規模作業所運営制度の改革が実施されて
平成13年7月12日のレジメ


小規模作業所ワーキングたんばの10年間をふりかえって

@ 毎日の作業を通じて、一人の人間として「働くよろこび」を感じ、仕事をすることにより、障害を持つ本人連の自立を促進し、地域の中で生きる力をつけること。

A 福祉的就労の場としての小規模作業所であっても、できうるかぎり一般就労に近いものを目持す。従って作業内容についても、収益性の少しでも多いもの、さらに、つくられる製品もより付加価値の高いものを考える。

B ワーキングたんばは、市の中心地にあり、障害を持つ本人達が仕事を通じて地域の多くの人々との交流の場となっており、また障害者に対する一般の人々の理解と啓発を推進する場と位置づける。さらに、一般就労になじめなかった本人達や行き場のない在宅の本人達の待機の場としても利用括用する。

 以上@〜Bで述べたことがらは、作業所開設時の親の願いでもあり思いでもありますし、地域福祉の社会的資源としての小規模作業所の果たす役割の一部分であり目的の一つでもあります.


2.ワーキングたんばの現状

 平成12年9月現在「パン工房」と「茶房マロン」とを合わせて13名のメンバーが適所しております。その内、男性8名(A−1名、B1−5名、B2−2名)、女性5名(A−1名、B1−4名)となっております。メンバーの年齢は、20才代6名、30才以上が7名となっております。最高令者は、56才の男性で、昨年お母さんが亡くなられたため、本人の意思により、ご兄弟も了解の上「生活ホームステップ」より「パン工房」に通っています。

 一方「パン工房」のスタッフ5名、「茶房マロン」のスタッフ3名の体制でそれぞれが運営されております。
 この運営体制で、上述の目的に合うよう今日まで努力しております。その成果としては、「バンエ房」と「茶房マロン」のそれぞれにより、若干勤務形態は異なりますが、13名のメンバー達は、朝8時30分-3時まで週一回の休み以外は毎日を懸命に働いております。その結果メンバー達は、作業に対してその工賃として、月平均4〜5万円をいただいております。しかし、この現状を維持するためには、スタッフをはじめ、メンバー達の保護者のなみなみならぬたいへんな苦労とボランティアの協力があることを申し上げたいと思います.


3.ワーキングたんばの今後の展望

 本人達の日中活動の「働く場」として、「生きがいの場」として立ちあげた通所小規模作業所「ワーキングたんば」は、一つの区切りの10年目をひかえて、平成14年度に「障害者総合支援センター」(仮称)がオープンすることになっております。
 このセンターは、知的障害者の通所授産施設部分と精神障害者の支援センター部分とさらに次年度に計画されている身体障害者リハビリセンターの三害者が相互利用できる通所の施設が篠山市により建設されることになっています。従ってワーキングたんばの「パン工房」、「喫茶部門」ともにこのセンターに移ることになり、小規模作業所が形の上では「法内化」されることになります。
 しかし、「法内化」することによるメリットとデメリットをどのように運営上に反映していくかが重要になると考えます。
 本年度より、国の制度改革によってスタートしまた「小規模通所授産施設」も知的障害者に関しては、全国で104ケ所認可がされておりますが、兵庫県下では、本年度は、神戸市の三ケ所以外はありません。


4.小規模作業所の目指す方向
 小規模作業所の小規模法人化の新設に伴って、作業所の地域における社会資源としての位置付けがはっきりと法的にも制度的にも認められたことになります。従ってこれからの作業所は、単に日中をすごす場ではなく、より生きがいのある生活の質が問われる場として位置付けが大切になると考えます。そのためには、障害をもつ本人達が地域の中で「仕事をする」、「生活している」、「多くの仲間や人達とふれあう」ことを通じてごく当り前の生き方を支援するメニューが作業所に必要になって来ます。今回の「福祉の基礎構造改革」によって、色々な事業の実施がやりやすくなりました。地域にあったメニューを、一つの作業所だけでなく他の作業所や既存の施設ともネットワークを組んで地域の企業や事業所(ハローワーク)に働きかけや連携した活動が必要かと思います。
 全国には、現在5、000ケ所を越える小規模作業所があり、今回の法改正によって、知的障害者関係では104ヶ所が小規模法人として認可されましたが、小規模作業所の大部分は、不安定な経営の上、スタッフの身分保証も十分ではなく、まさしくボランティアの域に留まっているのが現状です。

@ 作業所lまあくまで障害を持つ本人の自立の力を養う場であって、作業内容についても何でもいいといった安易な考えでなく、本人達とスタッフが一緒になってやれる仕事を取り入れるべきだと考えます。

A 作業所のスタッフについても、障害をもつ本人が一人の人間としてそれぞれに十分に理解して接することが大切であります。

B 作業所での仕事の内容は、どんな仕事もすべてが大切で仕事自体に高低のないことを本人達に話してやることが大切であります。

補 記

@ 多紀郡4町は、平成11年4月1日に合併し「篠山市」となった。

A 「障害者支援センター」は愛称「スマイルささやま」として、篠山市の事業として平成14年4月1日から「知的」・「精神」の二分野がオープンし、続いて平成15年4月から「身体」の部分が増築され、三障害の生活支援センターとして活動を始めた。「精神」の分野を除く運営は社会福祉法人に委託されている。デイサービス、授産施設としてのパン・喫茶・軽作業、グループホーム、地域交流、入浴訓練、身体リハビリなどが実施されている。 総事業費 約11億4360万円

B ワーキングたんばのパン工房防・喫茶は解消され、支援センターに新たに開設されている。
スマイルささやま玄関 車いす作家多田佳子さんの作品がロビーに 調理実習室 パン工房