トップへ戻る

    「反差別」から「人権文化の創造」へ
第8回篠山市人権・同和教育研究大会 基調講演 2006.12.3


■大阪大学大学院人間科学研究科教授 平沢  政さん


みなさんこんにちは。今、ご紹介いただきました大阪大学の平沢です。第8回の篠山市人権・同和教育研究大会が、このように成功裡に開催されていることに対し、まず冒頭にあたってお祝い申し上げます。また、今日のこの研究大会に参加され、人権についての様々な学びを深めようとされている参加者のみなさんに心から敬意を表したいと思います。そして、今日のこの研究大会に基調講演者としてお招きいただいたことに対し感謝いたします

 今日は、「動詞からひろがる人権学習」という教材を基にして、「まじめな雑談をしよう」という視点からこの篠山市の各自治会レベルの新しい住民人権学習の推進に関わってこられた岡田さんをはじめ、岩山さん、大谷さん、ちょんさん、松波さん、それぞれ関西を代表する人権学習のファシリテータ―のみなさんが、このあと各分科会でみなさんの効果的な人権学習の進め方について様々なアイディアやヒントを提供していただけると思いますが、私の基調講演は、その前段となるお話しをさせていただくという位置付けで、少しお時間をいただきたいと思います。

 簡単な自己紹介をさせていただきますと、私は今、大阪大学の人間科学部というところで、人権教育、人権学習、あるいは生涯教育のことを担当していますが、もともと大阪大学人間科学部の出身でして、学生時代に大学の近くにあります箕面市内の被差別部落での高校生の学習にボランティアとして関わったときから、かなり深く部落差別の問題と関わって取り組みをしてきました。

 大学を卒業して1978年に大阪府の南部にあります羽曳野市というところの羽曳野中学校という同和教育推進校に新任の教師として勤め、同和教育の様々なことを深く学んだ経験をもっています。その後いろんな経緯があり、今、人権教育や人権学習についての研究をしたり、こういう講演会に招かれて講師としてお話をしたり、あるいは大阪を中心にしながら、近畿各府県における人権行政や人権学習のありかたについての様々な審議会や委員会で仕事をさせていただいています。

今日私が基調講演者としてお招きいただいた理由は、今日みなさんがそれぞれの分科会で経験していただく「動詞からひろがる人権学習」という大阪府教育委員会が作成された教材がありますけれども、その教材作成委員会の委員長として何年間か仕事をさせていただいたからだと思います。

 今日は、この教材について、後ほど私自身がどういう視点で関わったかということとか、何故この教材に個人的にも深い思い入れを持っているのか、ということについてお話しさせていただきたいと思いますが、何故このような教材が生まれるに至ったのか、またこの教材の特徴はどこにあるのかということをご理解いただくためにもう少し枠をひろげまして、「反差別から人権文化の創造へ」という視点でお話しをさせていただきたいと思います。

 これから、みなさんのお手元にあります資料の3ページ、4ページに書かれていることがらをベースにしながら進めたいと思います。

 まず、「反差別としての人権」というところから始めたいと思います。みなさんの中にも経験された方がたくさんおられると思いますが、かつてこのような人権学習とか、人権研修とか、あるいは学校教育における人権学習や同和学習の時間における特徴的な方法というのはどういうものであったかといいますと、非常に悪質な差別をテーマにしたビデオを見せたり、あるいはそういう話を聞かせたり、あるいはそういう体験を綴った読み物を読ませたりして、それらを見たり、聞いたり、読んだりしてどのように感じたかを感想文として書かせる、というやり方がひとつのパターンとしてあったような気がします。

 それはもちろん「差別をしない、させない、許さない」人間を育てるというまったく正当な目的のもとになされたと思いますが、しかし、次第にこのような方法が一般化していく過程で、とにかく差別者をひどい悪人として描き、差別される人を善人として描くという、ある意味ではわかりやすい構図で描き出した差別問題を教材として教えることによって、多くの人が「差別はいけないと思いました」と感想を書いたり、「これからは人権を大切にしていきたいと思います」という感想を書いたら、それでもって人権学習が成功したと考えるような傾向が生まれたような気がするんですね。

 ところが、そういうやり方が蓄積されてくると、一方で、差別をされている人々のことを、何か「かわいそうなあの人たち」という形で、自分とは違うかわいそうな人たちなんだという目線から、人権という問題、あるいは差別の問題を他人事として捉えるという傾向も生み出してしまったんじゃないかなと私は感じてきました。

 これは、何もすべての同和教育や、人権教育の実践がそういうものであったというつもりではありません。非常に効果を上げ、学ぶものの心を揺さぶり、人間変革への道筋を切り開いて行った同和教育や人権教育の実践もたくさんあったのは事実なんですけれども、しかし、何かしら同和教育や人権教育をやらなければならないものとして広げて行く過程で、パターン化していったという問題は確かにあったんじゃないかな、という気がしています。

 そういう問題について考えていたときに、イソップの物語、みなさんもご存知だと思いますが、「北風と太陽」という寓話のことを少し頭に思い浮かべました。この「北風と太陽」というお話しをいま一度思い起こしていただきたいと思います。このお話しの中では、北風と太陽のどっちが旅人のマントを脱がせることに成功するかということを競い合ったわけですね。

 最初に北風が登場し、冷たい強い北風を旅人に向かって吹き付けました。そして、その威力でもってマントを脱がせようと試みたわけですけれども、当の旅人からすると冷たい北風が吹いてくるものですから、むしろマントを身に固くまとって脱ごうとはしなかった。そこへ、太陽が登場し、太陽は旅人に対してむりやりマントを脱がせようと物理的な力を行使したわけじゃありませんが、旅人からすると、ぽかぽかと暖かい太陽が照り付けて暑いので、自らマントを脱いで歩き出したわけです。こうして、太陽が北風に勝つという形でお話しは終わるわけですけれども、このことを人権教育や人権学習という文脈でもう一度捉えなおしてみると、どうも私にはこのマントというものは、多くの人が知らぬ間に身につけてしまっている殻、見栄、あるいは偏見のような気がするんですね。効果のある人権学習というのは、学習者自身が知らないうちに何か殻をまとってしまっていたのではないか、あるいは見栄をはって、無理をして生きてきたのではないか、あるいは偏見を持っているのではないか、ということに気づいて、そのような殻を取り去ること、見栄をなくすこと、偏見から自らを自由にすること、そうして自分自身も自由になり、豊かになり、そして差別の問題をなくしていくことにもつながるという、そんな気づきを生み出すような学習が、本当は効果のある人権学習ではないかと思うようになったわけです。

 従って、学習者にとって差別や人権の問題というのは、結局「あのかわいそうな人たちの問題」であって、「あのかわいそうな人たち」、例えば、部落差別をうけている人々、「障害」者差別を受けている人々、外国人差別をうけている人々などの問題について、私が考えてあげる、同情してあげる、自分とは違うそんな他人の問題を考えてあげる、という距離感があるかぎり、決して学習者自身が気づいたり、変わったり、より豊かになったりすることはできないのではないか。そうだとすると、学習者自身が気づいたり、変わったり、より自由になっていくような生き方を結果としてもたらすような人権学習が本当は大切なのではないか。

 もし、そういうものを広げるとするならば、イソップの寓話における太陽のような人権学習の環境を整えることが大切なのではないかと考えるようになりました。

 ただ、こういう側面を強調しますと、じゃあ差別を指摘したり、反差別ということはもう時代遅れなんだというふうに誤解をする方も出てきますので、一言ここで断り書きを入れておきたいと思います。

 今日の私の基本的なテーマは、学習者自身が自ら気づき、変わろうとし、より自由になっていくような人権学習、そしてその結果として様々な人とつながり、社会に積極的に関わろうとする、そんな主体を生み出す人権学習が大切だ、ということを申し上げたいわけで、差別を指摘したり、反差別の取り組みそのものを否定しようとすることではありません。

 なぜなら、差別を受けている当事者や、運動団体が差別の現実を告発したり、社会の変革を要求したりするのは当然の権利だし、世界の人権の歴史というものを振り返えると、人権の水準が高まっていく過程においては、常に当事者が「今のこの世の中の仕組み、あるいは周りの社会が向けてくるまなざし、それはどうしても許せない。納得がいかない。

 私自身の人間としての尊厳を否定しているのではないか。だからそのことを変えたい」、そんな切実な思いにもとづく告発に導かれて、ゆっくりとした足取りではありますけれども、人権の水準が螺旋状に変化しながら今日に到ってきたと私は考えています。ですから、一方では差別を受けている人々、あるいは差別をなくそうという人々が声をあげ、社会の仕組みや人々の意識を変えようと働きかけるのは当然のことであるということをおさえた上で、しかし、人権学習を進める際には、学習者自身が自ら気づき、変わることを可能にするような仕掛けを工夫しなければならないというふうに考えてきたわけです。

 かつて私は、同和や人権学習の時間、あるいはそのような学習の場を多く持てば持つほど効果があがるというふうに考えていたのですが、下手なやり方で人権についての学習をやればやるほど、冒頭にも申し上げましたように「所詮、その問題はあのかわいそうな人たちの問題で、私にはどうしようもない」とか「私はその当事者じゃなくて良かった」とか「私とは距離のある問題だ」という認識を生み出すだけだとすると、やっぱりやり方を変えて行かないといけない。そのやり方を変えて行く上で重要なことは、人権問題を「所詮他人事だ」とみなすのではなく、「人権は私の問題でもある。私自身がより豊かになると同時に社会から差別をなくしていく」というこの両方を両立させるような人権学習を考える必要があるのではないかと思うようになりました。

 世界の人権教育の様々な研究を見ますと、共通して指摘されていることがあります。それは、自分を本当に大切にできる人が、他者をも本当に大切にできるということです。言いかえますと、自分のおかれた状況を理解できている人が、他者の置かれている状況も本当に理解することができる。従って、自分も他者もともに含む社会的な問題として、人権を捉えることが可能になるということです。

 その時に、私の中でひとつのモデルとなったのが、みなさんもご存知だと思いますが、1995年から2005年まで、国連の呼びかけで「人権教育のための国連10年」という取り組みが行われました。その時のキーワードになった言葉が、今日の講演の見出しにも使いましたが「人権文化の創造」という言葉でした。この「人権文化の創造」ということについてはいろんな解釈ができると思いますが、私自身がこのレジュメに書きましたように、人権というものを差別を受ける人たちの問題として限定して考えるのではなくて、世界人権宣言にも言われているように、人権というのは普遍的な問題である。普遍的な問題というのはどういうことかというと、すべての人の問題である。もっとひらたく言えば、今日ここに参加されている皆さん一人ひとりが人権の当事者であり、主人公であり、それぞれの人の人権を豊かにすることが本来の趣旨であるということです。じゃあ、一部のかわいそうな差別を受けている人たちの問題として捉えるのではなくて、すべての人が自分自身の問題であるという視点で人権を捉えるためにはどういう枠組みが必要なのか。

 それを今から4つのレベルという言い方で少しお話しをさせていただきたいと思います。レジュメの3ページから4ページにかけて書きましたが、私は人権というものを、個人のレベルと他者関係のレベルと社会関係のレベルとそして自然関係のレベル、という4つのレベルで捉えています。それぞれについて、簡単にお話しをさせていただきたいと思います。

 まず個人のレベル、自分自身との関係のレベルということですが、これは例えば、皆さんが「ありのままのあなた自身のことが好きですか」と問われたときに、みなさんどうでしょうか。

 「ええ、わたしは、このありのままの自分自身のことが好きです」というふうに言えるでしょうか。ありのままの自分が好きというのは「良いところだけの自分」ではなく、自分の出来ないことや、欠点や短所も含めた、しかしいろんなこだわりを持って、夢も持って、こんなふうな持ち味のある自分、そんなふうにプラスとマイナスの両面を含めた一切の自分自身のことを好きだと思えるかどうか。そのことを自尊感情、つまり自分を尊いと思える気持ちという言い方で教育の世界では表現していますけれども、健全な自尊感情をもっているかどうかということが、個のレベルにおいて非常に重要なテーマになっていきます。

 さらには、自分自身のもっている良さを輝かせながら自己実現的に生きられているかどうかということが、ポイントになってきます。これが、個のレベルにおける人権の捉え方です。

 二つ目に他者関係のレベル、これは「あなたは、さまざまな他者といい出会いを重ねてきましたか」という問いに言い換えることができると思います。もし、皆さんが日本人だとすると、外国人である人々と親しい関係でお付き合いをしてきました、と何人もの人を挙げることができるでしょうか。もし、皆さんが健常者だとすると、障害を持って生きている人たちといい関係をつくってきた、そういう人を何人か挙げることができるでしょうか。

 世の中には、文化が違う、境遇が違う、価値観が違うなど、様々な意味で違いをもった他者が存在します。そういう人たちといい形で出会い、いい関係をつくることが出来ると、私たちは自分だけでは気づかなったことに気がついたり、勇気をもらったり、新しい選択肢があることに気がついたりして、結果として自分自身も豊かになるということがあると思います。それを、もう少し広い文脈で言うと、いろいろ違いを持った文化が共に生きる、つまり多文化共生というような言い方で表現できるかもしれません。これを他者関係でのレベルでの人権文化として捉えてみたいと思います。

 3つ目。社会関係のレベル。私たちは、今この時代、この社会に生を受けて、今生きているわけですけれども、この社会との関わりにおいて自分自身が今存在していることが意味があるんだと思える生き方ができているかどうか。あるいは自分が工夫したり、努力したりしたことによって社会がより良い方向へ変わるようなインパクトを与えることができているかどうか。

 つまり、自分自身が社会から存在を承認され、あるいはその社会に何かしら働きかけることによって、その社会をより良くする形で力を発揮できているかどうかということです。

 自分が社会から存在を承認され、つまり「あなたがいてくれてよかった」「あなたがいてくれたおかげで私も頑張ることができましたよ」あるいは、「あなたが努力してくれたおかげでこの仕事がうまくいってよかったですね」そういうふうに自分自身の存在、あるいは自分自身の努力したことが社会から承認を受け、そして自分の存在や働きが社会にとって意味があると思えるかどうかということです。意味があるというふうに実感できている人は、その分「もっと社会に対して積極的に何か関わっていこう」と動き出すだろうと思うんです。

 その形はいろいろあると思います。政治という形で参加するという形もあれば、市民グループをつくってNPOをたちあげるというかかわりもあれば、あるいはボランティアという形で社会に貢献するような生き方をめざすということもあると思います。あるいは、世の中がよりよくなるために、自分は仕事を通じてこういう役割を果たしているという認識もあるでしょう。

 あるいは子育てや地域づくりを通して、社会と自分のかかわりを実感するという形もあると思いますが、ともかく、社会との関係において、自分自身の存在や、自分自身の働きが意味あると思えるかどうかということが、この社会関係のレベルで重要なポイントになることだと思います。

 それから4つ目は自然関係のレベルです。さきの3つについては全部人間が中心ですけれども、この自然関係のレベルというのをあえて4つ目に付け足したのは、人間が人間中心になって傲慢になってはいけないという視点を人権を考える際に持ち込む必要があるのではないかと考えたからです。

 皆さんもご存知のとおり、20世紀の半ばから、人類は高度経済成長、あるいは大量生産、大量消費というライフスタイルを作って、地球の様々な資源をどんどん消費して豊かさを追求するという生き方をつくってきました。人間はその力を持っているんだからそういうやり方で豊かになればいいという価値観が支配したわけですけれども、20世紀の終わりごろになって、そういう人間の傲慢な活動が地球環境をとことん蝕むところまで悪影響を及ぼしてたことが見えてきました。酸性雨の問題、あるいはCO2、つまり2酸化炭素がどんどん増えている。

 それが地球温暖化をもたらしている。熱帯雨林がどんどん破壊されていっている。もう自然の力では後戻りできないところまで人間の影響によって地球環境が悪化しているということにようやく気づいたわけです。1990年代に入ってからですが、開発ということを良しとするのではなくて、持続可能な開発かどうかを考えましょう、つまり、後々の世代にわたっても今の環境をより悪化させない形で引き継ぐことができるような開発や生き方を私たちはしているのかどうかということを見直しましょう、あるいは、地球環境と共生的な生き方を大切にしましょう、そういう問題意識がしだいに生まれてきたと思うんですね。

 それは言い換えると、私たちが自然の恵みを受け、その恵みの中で生を与えられ生きているということをもう一度振り返り、そういう視点から自然の恵みに感謝しながら謙虚に生きるという視点を持つ必要があるということです。そして、このことを私は人権として考えないといけないんじゃないかと思うようになりました。

 もっと言うと、私たちが普段どういうものを食しているのか、あるいは私たちが自分たちの心や体の健康やバランスをどのように維持しているのか、そういうことをもっと意識しながら生きるということも人権の基本として大切にしていかないといけないのじゃないかということです。

 この4つのレベルを統合することによって、私は豊かな人権文化というものの姿がより見えやすくなっていくのではないかと考えています。そして、この4つのレベルで人権を捉えたときに、かつてのように「とにかく差別につながる言葉づかいや振る舞いさえしまければいい」という考え方ではなくて、自分も他者も社会も、全体がより豊かになっていくような人権文化の創造ということがめざせるのではないかと思うわけです。

 私自身はそういう観点から人権文化というものを考え、人権教育においてもただ「反差別」というスローガンを掲げる以上に、豊かな人権文化の創造ということをめざす営みこそが、結果として差別をなくすということにも効果を上げるんじゃないかという視点で取り組みをしてきました。

 そういう問題意識を持っていた頃に、大阪府教育委員会の「動詞からひろがる人権学習」という教材作成プロジェクトと出会ったわけです。今日、分科会のファシリテータ―をされる岡田さんが、「参加型と呼ばない人権学習」という本をこの篠山での取り組みをもとにお書きになっています。

 この中にも「動詞からひろがる人権学習」という教材がどのようにして出来たかということが説明されているのですが、2000年度と2001年度、ちょうど21世紀に入ってからなのですが、大阪府教育委員会の社会教育課の方から「社会教育で使える新しい人権学習教材を作りたいと思っているんですが…」というご相談を受けました。いろいろお話しを伺っていますと、それまでも大阪府教育委員会社会教育課においては社会教育で使えるような人権学習のための教材ということで、毎年1万冊を超えるような冊子を作っておられました。

 その冊子には、非常にむずかしい言葉で訳された世界人権宣言の前文が載っていて、またページをめくると、同対審答申の前文が載っているという具合に、要するに非常に小さい字で埋め尽くされ、難しい文言が並んだ資料集のようなものだったわけです。

 大阪府内の各市町村へそういう教材が届くわけですけれども、それが府教委から配布された後どうなっているか追跡調査をしてみますと、ほとんど「つんどく積読」状態になっていたということがわかりました。ほとんど有効に活用されていなかったわけです。有効に活用されていないような教材を、ただ必要があるというだけで作り続けるというのは、あんまり意味がないのではないか。

 作るかぎりは実際にそれが活用され、様々な地域で人権学習に役に立つ教材を作る必要があるのじゃないかということで、府教委の皆さん、そして様々な委員の皆さんと議論を重ねました。なかなかいいアイディアは浮かびませんでした。そんな議論をする中で、「人権問題ということを前面に出すのではなくて、動詞を前面に出して人権を考えるという教材を作ってはどうだろうか」という意見が出ました。

 今日皆さんが後の分科会で使われない教材を一つ例にとってお話をしたいとい思いますが、この「動詞からひろがる人権学習」という教材の中に「名のる」という教材があります。この「名のる」という教材の場合、描かれているエピソードは在日三世の女性がアルバイト先で親しい先輩に「実は自分は在日なんです」ということを名のるという、そういうエピソードが書かれています。ところが、このエピソードについて考え、様々な資料について学習した後、最後にその学習の場に参加されている皆さんに『では、今日は「名のる」という教材についてエピソードを読んでいろいろ議論し、様々な資料を見て考えてきましたけれども、皆さん自身にとって、「名のる」っていうのはどういうことでしょうか』という問いが返ってくる仕掛けになっています。

 さて、皆さん。皆さんは「名のる」ということをどういうふうに普段なさっているでしょうか。

 例えばPTAの研修会でこの「名のる」という教材を使って、そこに参加されている皆さんに「あなたは、どのように普段自分を名のってらっしゃいますか」という問いかけをしますと、PTAの研修会の場合はいわゆる専業主婦の立場の方がかなり多く参加されています。

 そこで、「名のる」ということを問われたときに、そういえば「私が名のるというと何年何組のだれそれの母です」とか、「○○の妻です」とか、「何丁目の○○です」と名のったりしていて、何かに付随する「母」とか「妻」とか「何丁目のだれそれ」という名のりかたはしているけれども、姓名をもったフルネームの私自身として、こんな思いを持ち、こんな夢を持ち、こんな悩みを持ち、こんな風に生きたいと思っている私ですというぐあいに、丸ごとの自分自身を名のっている場面が果たしてどれだけあるだろうか。

 そういうことについて考えることを通じて、日本の性別役割分業社会の中で、多くの専業主婦の人たちが社会的に置かれている自分の位置みたいなものが見えてくるきっかけ、それを振り返るような気づきを得るきっかけが生まれてくるわけです。

 このように言いますと、日本の性別役割分業の社会の中で、女性だけが人権を制約されているというふうに見えるわけですが、「名のる」ということを、例えば企業で勤めてらっしゃる方を対象に考えてみますと、企業に勤めている人が名のるというとたいてい名刺で名のるわけですよね。何々会社の部長とか課長とか肩書きがついて、その下に自分の名前がついた名刺でもって「私はこういう者です」というふうに名のります。

 こんなエピソードがあります。ある民間企業で部長を務めて退職されたかたが、退職後に地域の生涯学習の講座に行かれた。その講座で自己紹介をして下さいといわれて、その人は今まで何十年と企業社会の中で自己紹介をするといえば、いつも名刺で名のってきましたから、さすがにその時名刺は出しませんでしたけれども「自分はつい最近まで○○という某有名企業にいて、そこで部長を務めて、こんな仕事をやり、こんな業績をあげてきました」という話をとうとうとされたそうです。

 ところが、その生涯学習の講座に来られているかたは、なにもそんな自己紹介を聞きたかったわけではありません。その人が何故その講座に興味を持って、これからどんなふうにそれをいっしょにやっていきたいと思っているかという気持ちを聞きたかっただけなのに、そんな場においても自分のかつて持っていた名刺でしか自分を自己紹介することができない。

 言い換えると企業社会とか、組織の中で自分というものを位置付ける生き方をずっとしてきたために、自分をそれ以外のかたちで名のれなくなってしまったわけです。

 これは、ある意味で、性別役割分業の社会において、男性が自分自身の人権を制約されてきたというふうに見ることもできるだろうと思うんですね。皆さんはどうでしょうか。名のるというときに、自分自身をどんなふうに名のっているでしょうか。これは、突き詰めていくと自分が何者なのかというアイデンティティーの問題になってくると思うんです。だから、この「名のる」という教材を例に取ると、最初そこで読み、考えたエピソードは、在日の三世の女性が自分が在日であるということを親しい人に名のるという、そういういわば「他人事」から始まったわけですね。その人が、どうしてここでこんなふうに感じたのかというようなことをいろいろ考える。でも、それがどんどん進んでいって最後は、「あなた自身は?」というふうに問いが自分に帰ってくるわけです。これは、ある種ブーメランのようなものですよね。自分から発したものが、最後また自分に帰って来る。

 動詞を切り口にして教材を作ったことのミソは、実はそこにあったわけです。動詞であればすべての人が自分の問題として考える切り口が生まれてくるのです。

 教材は、このような教材ですが。(教材を皆さんに見せる)「動詞からひろがる人権学習」。いちばん最初私たちが関わって作ったときは、11個の動詞でつくりました。

 今日、後の分科会で皆さんはそのうちのいくつかを実際にやっていただくことになると思うんですけれども。その後でさらに動詞が新しく二つ付け加わりました。今、私は「名のる」という動詞を例にとりましたが、他に「抱え込む」とか「分け合う」とか「伝える」とか「聴く」とか「遊ぶ」とかいろんな動詞が切り口になって教材の表題になっています。でも、何もこれらの動詞だけが人権学習にとって重要だということで、これらの動詞が選ばれたわけでもないんです。

 たまたまその作成委員会の中で「こんな動詞だったらこんな教材ができるんじゃないか」という提案があり、たまたま最初は11個、後で2個加わって今13個になっています。教材では、これらの動詞のもとにそれぞれ様々な人権問題を描いたエピソードが分かり易く、いろいろな考えを触発するような形で書かれているわけです。

 そして、最後はその学習に参加された学習者一人ひとりの自分に問いが帰ってきます。すると、この学習をした後、学習した人の中に残るのは、他者である人がこの動詞に描かれたような問題に直面してどう感じたかということについていろいろ議論したと同時に、自分自身もその動詞の視点から見たときにどういうふうに今生きているんだろう、どんなふうに自分自身を表現したいんだろうということを同時に考えることが可能になります。

 つまり、他者が直面している問題と、私が経験したり直面したりしている問題が、動詞に橋渡しされてつながるわけです。自分と他者がつながるために動詞というものが有効に働くという仕掛けになっています。この教材をつくっていた段階では、そういう仕掛けになってすべて人が自分の問題として人権を考えるということにつながるだろうとある程度は予想していましたけれど、これほど大きな反響を呼ぶことになるだろうとは思っていませんでした。

 きょうはこの教材作成にその当時大阪府教委の立場でかかわっておられた岡田さんがいらっしゃいますが、岡田さんによると、この教材は高校でも使われているし、企業研修でも使われているし、例えばこの篠山では自治会レベルでも使われているし、全国でいろんなほかの都府県でも使われてるところがあって、おそらくもう何万部と出ているだろうということです。社会教育における人権学習教材で何万部も「うちでも使いたい」というような反響をよんだ教材は、今まであまりないと思うんですね。それは結局、他人事として人権を学ぶんじゃなくて、最後は自分について振り返ることも可能になる。だから、人権学習をすることは、人のためにやるんじゃなくて、人のことを考えると同時に自分自身を振り返ることになり、人権学習に参加すれば自分自身についてもいろんな気づきが得られる。考え方が変わっていく。その結果として自分の行き方や物の見方が変わっていく。

 そうやって自分が変わっていくということが面白い。変わっていく過程で他の人が経験しているいろんな問題もよく共感できるようになる。従って、他の人とも気持ちがつながれるようになる。だから人権学習をすることが自分にとっても意味があると思えるような学習が重要だということを、この教材を通じて改めて感じました。

 私は、今この「動詞からひろがる人権学習」という教材を振り返って、そういう意味では確かに日常生活の中で様々な人が経験していることをもう一度考え直すきっかけを与える教材であると、このことについては確信をもっています。ただ、これからの話ですけれども、日常生活の中で実はこういう人権問題がある、こういうふうに自分の生き方を束縛している問題がある、そういうことに気づくというところからさらに一歩進めて、例えばその結果として、私が今後付け加えてほしいなと思う動詞をあげるとするならば、「変わる」とか「変える」とか、あるいは、「提案する」とか「行動する」とか、要するに自分自身が気づいたことをそこで終わるんじゃなくて、気づいたことでもって自分が変わっていく、あるいは他の人や社会をこういうふうに変えていく、社会に向かって提案していく、働きかけていく、そして、実際に行動する、その結果として人権文化豊かなコミュニティーが生まれる、つまり、人権のまちづくりにつながっていくというような展開を期待しています。

 言いかえますと、個人のレベルでの気づきで終わるんじゃなくて、その気づきが他者とつながるきっかけをつくり、そのつながったことによってまちや、地域や、学校や、職場など、社会を変えていく、そういう方向へと向かって行くような人権学習に将来は発展してほしいなと願っています。もっというならば、今日、私は自然関係のレベルということで少し地球環境の問題に触れましたけれども、これからの人権学習の向かう方向が、自分とか自分の身近な他者とか自分の学校とか職場とか町というところをさらに越え出て、地球、あるいは今世界で起こっている紛争とか戦争とか貧困とかそういう地球規模の人権課題にまで問題意識がひろがっていくような発展を私は期待したいなと思っております。

 学校教育のレベルでは、今年の1月に文部科学省から「人権教育の指導方法等のあり方についての第2次取りまとめ」という文書が出されました。ご存知のかたもおられるかもしれませんが、その文書の中で強調されているのは、『これまでの人権学習は知的理解にとどまっていた。でも、これから大事なのは日常生活の中で人権という規準に照らして何かおかしいと思うようなことにでくわしたときに「これはおかしい」と直ちに受け止められる感性が育っているかどうか。さらには、人権という規準に照らして、それを実際の態度とか行動にその配慮が表れるようになっているかどうか』ということです。

 これを「人権感覚」と呼んでいます。文科省も、そのような感性や態度・行動をはぐくむ人権教育の必要性を強調するようになっている流れがあるのです。私はそういう時代の流れを受けて、これから学校教育でも、社会教育でも、本当に私たちの気づきがなんらかの変化につながる、自分自身の生き方とか、考え方とか、他者とのつながり方、あるいは社会との関わり方の変化につながる。そして、周りや社会をも変えて行くような力につながる、行動につながる、そういう人権教育、人権学習というものを是非めざして、この日常の中からの気づきを大切にしていただきたいなと考えております。

 ちょうど時間になりましたので終わりますが、この後に続くそれぞれの分科会で是非「動詞からひろがる人権学習」の教材、あるいはこの教材に触発されて生まれた様々な人権学習の新しい進め方にヒントやアイディアを得ていただいて、皆さんが篠山市のそれぞれの自治会レベルおける住民人権学習を今後効果的に進めていただく上での学びが、今日、皆さんの間で共有あれ、持ち帰っていただくことを期待してお話しを終わりたいと思います。

 ご清聴ありがとうございました。