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講演記録
演題  「自分のこととして考える人権」
        〜自尊感情・エンパワ−・暴力の視点から〜
      講演 金 香百合さん
        ホリスティック教育実践研究所 所長

2005年度 今田校区人権・同和教育研究大会(2006.1.21)

 みなさん、こんにちは。今ご紹介をいただきました金香百合と申します。どうぞよろしくお願いいたします。今日は、本当に寒い日、一年の中でも特に寒い大寒という日を迎えておりますが、私はそういうときいつも、自然から色んなことを学びます。人間の心や体のことを研究しておりますと、痛みや辛さや悲しみが底を打つというような表現をするときがあります。本当に辛いこと悲しいことも底があって、底の底までくると、あとは痛みや苦しみや悲しみから回復していく、言わば春に向かっていく。そんな気がいたします。外は寒さのまっただ中ですけれども、それでも木々を注意深く見ますと、春に花咲くために一つひとつの木々には小さな可愛い芽が出始めていて、この寒さの中でも、しっかりしっかりその小さな芽を膨らませていくということが、その一本一本の木々の中にも起こっているというようなことを見ますと、本当に命の強さと言いましょうか、命のたくましさ、そういうものを感じさせられます。私たち人間もまた、そういうさなかにあって、色んな事柄を考えていきたいと思うものです。
 今日私が、皆様にお話ししたい、ご紹介したいと思っていることは、突き詰めて言いますと、人間がどうしたら生き生き幸せに生きることができるかということです。皆様どうでしょうか。お一人おひとり自分のこととして胸に手を当てて考えていただくと、最近、いきいき幸せに生きておられますか。そうだとしたら素晴らしいことです。なかなかそうはいきません。辛いこと悲しいことはいっぱいありますし、そして、ときにこういうことも日々感じます。人間は誰でも心を持っておりますが、(ハート型の心に扉がついたものを出されて)これ心ですね。この心、青森県の高校生が私のために作ってくれたんですが、私たち誰もが持っていますこの心には扉がついております。私たちは毎日の生活の中で心の扉を開いたり閉じたりしながら生きております。毎日の生活は、たまには嬉しいこと楽しいこともちょっとあったりします。でも、それ以外に辛いこと悲しいこと落ち込むようなこと、傷つくようなこともたくさん起こっております。では、私たちが毎日の生活の中で、とりわけそういう辛いこと悲しいことを、「あぁ最近こんなしんどいことがあった、えらいことがあった」というように、誰かに心の扉を開いて打ち明け話して聴いてもらって、そして慰められて癒されて生きているかというとなかなかそうはいきません。今の世の中そういう辛いこと悲しいことほど「話さんほうがええ、見せやんほうがいい。そんなこと言うたら私の恥や」というようなことを思いながら辛いこと悲しいことを、心の奥に閉ざして生きているということがよくあります。そのくせ外側は、表面的には「問題ありません、元気です。普通です。大丈夫です。」とこんなことを言ってたりするわけです。見てたらどう見ても、大丈夫じゃないし普通でもないけれども、ご本人は一生懸命そういうことを隠しながら押し込みながら生きている。そうなこともあります。私も昔はそんな人間でした。特に子どものときがそうだったんですが、私は子どものとき、心の中にいっぱい劣等感やら悲しみを抱えて生きていました。いちばん大きな劣等感はまず韓国人に生まれたということだったんですね。私は子どものときには何でもかんでも人と同じがいいと思いこんでいました。ところがです。最初に思い出しますと5才のときですけれども、幼稚園位ですね、一緒に遊んでいた友達がいきなり表情を変えて言いました。「お前は入れたらへん。朝鮮人やから。」そう言われた。5歳の時のことですがよく覚えています。が、私はその時言われた朝鮮人という言葉の意味も分かっていなかった。それでも、十分わかったことはあります。「私は人と違っててダメなやつ、あかんやつって今言われてるんや。」そのことはよく分かりました。その子の嫌そうな顔、嫌そうな声そういうもので十分わかったわけです。私は、その時以来自分が在日韓国朝鮮人に生まれたことは絶対人には言いたくないこと見せたくないこと。そう思いながら、隠そう隠そうと思いながら生きていました。いくつも悩みや劣等感を持っていましたが、もう一つ大きな劣等感は耳のことでした。私は生まれつき耳が良く聞こえなくて難聴だったんです。聞こえないことがしょっちゅうあっても、恥ずかしくて「聞こえないのでもういっぺん言ってください」ということが言えませんでした。今では私は補聴器を付けていますが、ちょっとはずしてご覧に入れますとこんな小さいものですね。今高齢者の方でもよくお付けになっておられる方もあるかと思いますが。私はこの補聴器を外して説明しているときには、自分の声はほとんど聞こえておりません。それくらいに難聴がひどいわけですけれども、この補聴器を付けるようになったのは高校2年生のときです。授業が全然聞こえなくて成績がとっても落ちたので、この補聴器を買ってもらったんです。貧しい家でしたのに補聴器を買ってもらうというのはそれ自体「申し訳ないなあ」と思うそんな気持ちも持っておりました。でも、この補聴器を付けたときには友達にもこのことをよう言いませんでした。このことは私にとっては、みんなと同じ良い耳ではない恥ずかしい私というふうに思えて全部隠しておこう隠しておこうそう思ったわけです。それまでは私は髪の毛の短い子どもでしたけれども補聴器を付けたときに始めて髪の毛を伸ばしたんです。何でのばしたか。補聴器を隠したかったからです。今も長いですが今は散髪に行く時間がありません。それだけで伸びているんです。当時は何でも隠したいと思っている私でした。もう一つ大きな恥ずかしさがありました。それは家のことです。私は友達と何でもかんでも一緒がええと思っていましたが、友達の家を見ていたらこんな風に見えたんです。どこの家も又テレビでもやっていたのは、家というのは家族というのは、りっぱなお父さんがいて優しいお母さんがいて、子どもたちがみんなお利口でみんなで和気あいあいと一家団欒して生きておる。それが家族やと思っていました。ところが、自分の家を見てみたら違っていました。まず、お父ちゃんがおりませんでした。うちの家は母子家庭だったんですね。父が私の小さいときに家を出て遠くへ行ってしまいましたけれども、母は一人で子どもを育ててくれたんですね。昔の人ですから5人も子どもを産んだんです。そのうちの一人が私ですが、その5人の子どもがおったうちの一人が、貧しくて病院に充分お金をかけてやれなくて小学校6年生で亡くなりました。もうそれはそれはいちばん辛かったことだそうです。母はもう81才になるんですけれども、自分の人生の中ででいちばん辛かったことは子どもを亡くしたときのことと今でも言います。親にとって子どもを亡くすというのは本当に耐え難い辛さであったようです。それでもまだ4人育てなあかんかったわけです。うちの母は小学校しか出ていない、在日の女性で女一人、手に職もなくどうやって育てていこうか。ミシンの仕事を覚えてそれで育ててくれましたがそれだけではありません。うちのお母ちゃんは今思えば大変な偉い人で、4人の子どもだけでなくてお父ちゃんが家を出て行きましたのは浮気者やったんです。ほんで他に好きな人が出来てどっか行ってしまったんですが、その人との間に子どもだけ作ってまたどっか行ってしまいました。うちの母はその子どもを引き取って育てた。で、うちのお父ちゃん懲りない人で、また別の人と浮気してですね、また子どもだけ出来てその子ども放ってまたどっか行ってしまった。うちのお母ちゃんはその子も引き取って育てました。自分の産んだ子ども4人とそれぞれ他の人が産んでくれはった2人の子ども合わせて6人を全部平等に「子どもは宝物」と言いながら、いつも平等にご飯食べさしてみんな学校にやってくれました。それでも一言も「あんなにしてやったのに」とか誰にご飯食わせてもろてると思っとるんや」みたいなこと言うたことない。私この頃そんなん言う親よう見るんですけど、あんまりやらへん人程そんなこと言うんですね。「誰に飯食わしてもろてんねん」「誰に大きいしてもろてん」大したことやってない人はそれ言います。でもお母ちゃんみたいに大したことやった人は言わないね。偉いお母ちゃんやと思います。でも、私は自分が中学生や高校生のときには、そんなお母ちゃんをも大事にして親孝行なんかようしませんでした。それどころか、自分の心の中が劣等感と氷の固まりみたいになって、そのころの私は表情もなく感覚もなく、「何のために生きてやなあかんねん」とか思いながら生きとったので、もういつでも自分のお母ちゃんには八つ当たりばっかりしてました。どんな八つ当たりってこんなんでしたよ。「おいおかん、誰が産んでくれ言うた、誰も産んでくれなんか言うてへんわ。どうせ生まれるんやったらな、こんなややこしい貧乏たれの家違うて、もっと大金もちのお嬢さんみたいな家に生まれたかったわ、誰がこんな変な家に産んでくれ言うた」そんなことばっかり。そんなことを言うてる一方で、一人になりますとドーンと落ち込んで「ああ、なんて私はひどい人間やろ。お母ちゃんが朝から晩まで働いて子ども育ててくれてんのん知ってるのに。なんで私はこんな憎たらしい嫌なことしかよう言わん人間やろ。こんな私なんか早よ死んだらええねん。おる価値ないわ。うちが死んだらお母ちゃん一人分楽になるわ。」そんなことを毎日思いながら生きておりました。その頃、中学生の頃高校生の頃二十歳の頃、私は自分がいちばん嫌いで、人間ていう人間みんな嫌いで、もう世の中全部大嫌いでした。そんな私でした。私は幸せなんて思ったことがなかった。でも、今実は49才にもなってます。誕生日来たら50になるんですけどね。うって変わって、自分のことが大好きやと思えるようになりました。ここに、幸せに生きるという秘密と秘訣があったんです。そのことを私は自分で独り占めしないでみなさんに是非紹介していきたい、そんな風に思っています。

〈自尊感情〉
 ここに今日お越しの皆様に本当に大切な言葉で是非知っていただきたいのは、「自尊感情」という言葉です。これはどんなものかと言いますと、「自分のことを好きや、大事や、自分にも意味がある」そんな風に思うことのできる感情・感覚なんです。この自分のことが好きという感覚は、なにも自分が100点満点の完璧な人間やから自分のことが好きというのと違うんです。むしろ反対です。人間は誰でも欠点があるし誰でも失敗もします。そういうことを、あるがまま全部ひっくるめて「このわたしでええんや、この私でOKや」と思える感覚なんです。欠点や失敗も含めて、この私でOK、しかもそのOKを人に対しても出せる。私も好き、あなたも好き、私も大事であなたも大事、そう思える感覚が自尊感情というものなんです。この自尊感情は、人権の分野では、自分を肯定できる自己肯定感情という風に使う方もあります。それから英語でそのままセルフエスティームと紹介する人もあります。人権教育の分野では、実はとっても長い間大事にされてきたものでもあります。この自尊感情と似て非なるものがあります。それは何かというと「私だけOK」というやつなんです。この私だけOKというのはあなたがないんです。これは自尊感情とは別物なので、しっかり区別をしておきますが、これは自己中心感情と名付けられているものなんです。よく、普通の言葉で「自己中やなあ」あれです。自己中心感情で、どこまでもどこまでも自分のことだけ考えているという感覚なんです。ところがですね。今この自己中心感情がじわーっと増えております。大人にも増えているので子どもにも増えております。この自己中心感情がはびこると、どんな人権問題もぶっとんでいくんです。何でか言いますとね。「差別があってね、偏見があってね。」と言っても「そんなこと関係あらへん、わしとこ関係あらへん、全然関係あらへん。」それで終わりなんです。「いやいや世界でも戦争があって、子どもも殺されているんや…」と言っても、「いやうちとこ関係あれへん、うちとこ戦争あれへんもん関係あれへん」これで済む訳です。すべての人権問題の最大のやっかいな相手が、この自己中心感情なんです。この中心感情はあっという間にはびこってます。これをはびこらせるのは簡単なんですよ。特に子どもを育てるときに、こういう子どもにするのはすぐ出来るんです。どうやったらええか。小さいときからね、子ども部屋与えてその中にテレビでもゲームでも携帯電話でも何でも買い与えてやって、時々つぶやいてやるんです。「勉強しいや、勉強しいや、自分のために勉強しいや」こうやって育てておきますと、10年後、15年後あっという間に、自己中心感情の子どもができあがってきます。その頃になって親びっくりしてね、余りにも自分のことしか考えへん、家族のことも考えませんよ、そういう子どもになってしもてるいうてびっくりして「おまえちょっと待てよ、自分のことだけ考えとったらあかんで」とその頃になって説教し始めてもちょっと遅かったりするんです。もうそうなってしまってるときにはね「何が悪いねん、親が自分のこと考えて勉強せえ勉強せえ言うたからその通りにやってるんやんか、何が悪いねん」こういう子どもにすぐなってしまうんです。これやったらあかんのですよ、私たち。この自己中心感情は今最大の課題ですが、まずは今日、すべての人がいきいき幸せに生きるための自尊感情のことを考えておきます。この自尊感情は人間にとってはとっても大事やったんです。医学の世界で調べられているのは、自尊感情の高い人は病気になりにくい上に癌になっても生還率が高い。免疫能力までも高くするんですよ、この自尊感情は。ところが、自尊感情の低いときは病気になりやすく病気になったら回復が遅いんです。これ医学の世界で研究されてることです。また教育の世界ではこんなことが研究されてるんです。自尊感情が高くなると子どもの学力が伸びやすくなる。自尊感情と学力には相関関係があったんです。自尊感情が高いときには差別や偏見が少ないということが分かっております。また、この自尊感情が高いときにはスポーツもようできるというのが分かっているんです。オリンピックの選手たちは、メンタルトレーニングといって心のトレーニングをしますが、この自尊感情を高めるということをやるんです。そうすると競技にいい結果が出てきやすくなるということが分かっております。この自尊感情が全体的に見ますと、高いときと低いときでは、くっきりと特徴が出てきます。これは大人でも子どもでもなんです。自尊感情の高いときには、私が好きであなたが好きで生きることをを楽しんでいることが多いので、あらゆる場面で前向きになります。何でもやってみようという気持ちになるんです。ところが自尊感情が低いときには、否定的で消極的で何でもやりたがらないという傾向が強くなります。大人にもそんな人多いですが、子どもの中にも、やる前からこんな言葉を言う子が多いんですけどね、「やりたくない、どうせやったって失敗するもん、どうせやったって出来へんもん」こういう言葉を繰り返すということは、自尊感情が低くなってるおるという特徴を表しているわけです。また、自尊感情が高いときには柔軟に物事を考えようとする。ところが自尊感情が低いときほど、前例にこだわるとか何とかにこだわるとかあってとっても生きにくい生き方をしやすい。また、自尊感情の高いときの特徴というのは、人間関係を対等に作るんです。相手が金持ちであろうが、貧乏人であろうが、人として大事にしあう関係をつくります。ところが自尊感情の低い人は大人でも子どもでもなんですが、人間関係を上下で作ります。相手の方が強いと思うとへこへことしてね、私なんかチルドレンにしてくださいなんてことまで言い出すんですよ。ところが相手が自分より弱いみたいに言いますと急に豹変するんですよ。「おらおら、ここでは俺がいちばん偉いんじゃ、俺の言うこと聞かんかい」みたいなことをやるわけです。そういう人は大人でもいっぱいおりますが、子どもの世界でもいっぱいおります。子どもの世界で特徴的なのはね、小学生のときにはこんな子が多いんです。親や先生の前ではお利口さんっていうのをやってるんです。ところが、友達関係の中では、ひどいいじめをやっている、こんな子ようけおります。それを知らないときには話を聞いてびっくりしはるんですね。私の前ではこんなにええ子やのに。こんな子ようけおりますよ。この子の中で本物の自尊感情が育まれてないとき、まだ小さいうちは、親や先生が怖いからその前ではおとなしいいい子をやってるけれどもそのストレスを弱い者にうわっーっと出してる。信じられないようないじめをやってます。ところが、この子どもたちが中学生位になって体がおおきくなってくると力関係が変わるんです。しばしば起こるのは家庭の中での暴力です。家庭内暴力。誰に暴力を向けていくか。今まではおとなしかった、親に向けていくことがよく起こるわけです。親に向けていくのも先に起こるのも頻繁な例はお母さんに向けます。お母さんの方が弱いから。次お父さんに向かうときには、金属バット持って行くということが起こるわけです。それがその子の中で本物の自尊感情が育まれてないとき、人間の強い弱い力関係をすごく伺いながら生きておって、弱い方に向けてはひどい暴力をだすという生き方を身につけていくということが起こるんです。で、言うときますが、私は昔、自尊感情が低かったんです。自分のことが大嫌いでした。今言っている自尊感情の低いときの特徴は、全部私自身に当てはまりました。今は高くなりました。良かったです。高い特徴に当てはまります。もっと良かったのは、自尊感情がどんんに低くなってても変化できるということが分かったことが、何よりも良かったことです。私は低いときの特徴もよく分かります。全部自分やったから。高くなったときの特徴も分かります。だから、皆さんにお伝えしたい。自尊感情の高いときには、男らしさとか女らしさとかにあんまりこだわりません。一人の人間として、自分自身としてと考える傾向が強いんです。ところが自尊感情が低くなりますと、男でも女でも「お前男のくせに、お前女のくせに、男やから女やから」という言葉で人を縛っていくということをいたします。私もそうでした。私は子どものときからこんなことをしょっちゅう言ってました。弟に「お前は長男やねんから親見るのはお前の役目や」こんなことを言ってました。こんなことを言う子どもやったんです。弟には悪いことしたなあと思ってます。自尊感情が低いとそういうものに縛られる。また年齢とかにも縛られるんですよ。自尊感情が高くなりますと、更にこんなことが起こります。自分の頭で考えて差別や偏見にあまり巻き込まれにくい。例えばみんなで陰口言うてみんなでいじめやってるというときにも、はたと「そんなことやってていいんやろうか」と自分の頭で考えようとするわけです。自尊感情が低いときには、自分で考えることに自信がないので、いつでも周りはどうやってるんやろうと、こういう行動になりやすいんです。みんなが陰口言うてる、いじめやってる。わからんけど一緒になってやっておこうみたいな。そういう風に差別やいじめにも荷担していくということが起こりやすかったです。また、自尊感情が高いときにはこういう特徴があります。謝れるんです。人間誰でも失敗はあります。間違いもあります。そういうときに、潔く心から「あっ、ごめん。悪かった。それは自分が悪かった。」と言える。ところが自尊感情が低いときには、謝られへん、謝れへん。「悪ない、悪ない、やってない、やってない、」いつまでもはじめは言うんですね。やってない、やってない、やってない。今ニュースになってる人みんなそうですね。そのうち動かぬ証拠を突きつけられると、「やるにはやったが、あいつのせいでやらされた、自分のせいでない。あいつのせいや」というように誰かのせいにしていくといったことが起こります。これ、大人でも子どもでも本当に典型的なんです。自尊感情の高いときには謝る。子ども達でもそうですよ、悪いことしてしもたというときでも、謝りません。黙って謝りません。「謝りんかいね」「謝らへん、あいつの方が悪い」大人でも子どもでも人間は本当に一緒。また自尊感情が高いときには、ひどさもやさしさもいろんなものを持って自分らしくいきいき生きるということがしやすくなるんです。全人的才能を開花させる。花咲かせると言われる。ところが自尊感情が低くなると、せっかく人間は色んないいものをもって生まれるのに、全部押し殺して自分らしくいきいき生きていかない。そういう状態が生まれてくるわけです。これ、誰にでも共通いたします。
さて、この自尊感情、みなさん最近どうですか、ご自分の自尊感情、高い方ですか、物事が順調にうまくいっているときは、自尊感情は高くなりやすいです。でも、物事がしんどい状態、失敗続き、辛いことばっかり起こる、そんなときは低くなりやすいです。それでも、自尊感情が高いところで変化しているときには、辛いこと悲しいことがあってもそれを栄養にしながらまた成長する。そういう変化をする。ところが、どん底のように低い状態になりますと、辛いこと悲しいことがあるとそこから回復できずにずーっと落ち込むということもよくあるわけです。特に人生で起こる喪失体験、大事な例えば家族が亡くなったとか、離婚して別れたというふうに、大事な人を失うという、そんな経験をしたときには自尊感情は誰でも低くなります。それを色々さ支えられて回復していくとまた、それも活かしてより強くなっていくこともあるわけです。ところが、誰かが亡くなった「辛かった悲しかった、」その辛さを癒されることのないまま、自尊感情が低くなっていって、今度はその悲しみや怒りが、今度は誰かへの暴力や犯罪になっていく、そういうことがいっぱいあったりいたします。さて、この自尊感情なんですが、まず皆様に大事で、そして民様の周りの人たちに大事で、家族がおられたら家族の方にも大事で、お友達にも大事です。地域の仲間みんなにも大事であります。特に今、子どもを育ててらっしゃったり、孫がおられたら、子どもが成長していくその段階ではこの自尊感情は大事です。大人にも大事なんですが、子どもにはなぜ特に大事かというと、子どもの体と心と脳はすごく成長著しいときなのでその子ども時代に自尊感情を高く幸せなこども時代を育ててやると、あとあと良い生き方をしやすい。私自身は子どものとき低かったですけれども、変わります。それも良いことです。でも、最初から高く幸せなこども時代を作れたらいうことありません。さて、では、この自尊感情はどうやったら育めるのかということをご紹介しましょう。今、お話ししたように、高ければいいことづくめやったんです。私たちはいきいき元気に生きることができます。ところが、この自尊感情をどうやったら育めるのかということについては、あんまり研究されてなかった。私は、いろんな学問を勉強してみました。どうやって高くしてもらったんやろう。そのときに、とってもたくさん勉強しましたが、そのわかったことを全部分析して整理してみると、とっても簡単なことやったんです。こんなことが分かりました。

〈体の栄養 心の栄養〉
 自尊感情を育むには2つの栄養が必要やったんです。2つの栄養というのは一つは『体の栄養』です。もう一つは『心の栄養』です。当たり前のことでしょう。すごい簡単なことでしょう。しかも昔は、私は心の方ばっかり研究していました。体は、日本人は豊かになったから出来てるはずと思ってたんです。ところが、それは私の間違いでした。後で気がついてみたら、日本中、体の方からグジャグジャやったんです。この体の栄養というのは3つです。みなさん、最近の自分の体の栄養はどうかなあと思って聞いてみてくださいね。『食べる』『寝る』『動く』です。この食べるは、コンビニ弁当ばっかり食べてるんじゃあ、あきません。お菓子ばっかり食べてるんでもあかんかった。この『食べる』は、人間的なものを人間的な時間に、晩御飯を夜中10時や11時に食べとったらあかんかったわけです。感謝や笑顔で「おいしいね」言いながら食べておる。そういう食事が必要でした。ところが、日本人の食卓の光景がとっても変わってしまったんです。日本人の食卓の光景がこんな言葉であらわされました。孤独に一人で食べておる孤食、出来合のコンビニの弁当ばっかり食べておる固定された固食。運動もしてない、何もしてない、いきいきもしてないから「もうめし食べたない、ご飯いらん、鳥の餌ほどちょっとしか食べへん枯食、日本人の食卓の光景になってしもとったんです。どうですか、皆様の最近の食べるは、こうじゃなくて、人間的なもの、楽しく感謝していただいておりますか。そうだとしたら素晴らしいですね。それをまた自分で作ると尚ええらしいです。何にいいかというと脳にいいんです。女でも男でもそんなこと言ってないで自分で作っておいしいものを作るということを回復した方がいいんです。2つめに『寝る』今寝ている皆さんは、大事に寝させといてあげてください。その方は眠るがうまくいってません。このときに大事な『寝る』はね、夜にぐっすり寝るが大事なんです。昼間に寝始めたらちょっと危ないんです。特に、子ども達は多いですよ。昼夜逆転現象といいます。夜遅くまで起きてるんです。ゲームしたりパソコンしたり。その代わり朝から昼になったら、「しんどい、眠たい、頭働かへん、ぼうっとする」こんな状態なんです。昼夜逆転はいちばん危険な状態でもあります。ひきこもりや不登校やうつ鬱になっていくときのその第一段階にとってもよく発見されるのが睡眠障害なんです。夜にぐっすり寝れてない。昼間に眠る。皆さんの寝るはどうですか。私ね、昔から夜型人間です。だからとてもよく分かるんです。脳に関係あるんですが、夜にぐっすり寝ると脳がとってもいきいき活性化して働くんです。ところが脳は寝不足になりますと、一つは寝不足の脳はとっても攻撃的なんです。恒にいらいらして「くそ腹立つのう」で、今子ども達がとっても寝不足なので暴力的になりやすいです。もう一つは寝不足の脳はやる気が出てこない、集中力がでてこない。だから、「何でもええわ、どうでもええわ、何にもしたないわ、」こういう感じになってくるんです。寝不足はとっても悪かった。それも長く寝ればええだけの話じゃなかった。質の良い睡眠は「夜にぐっすり寝る」やった。だから、基本は早寝早起きが大事やった。皆さんの中で伺いますけれど、毎日平均してみると、何時くらいに寝てらっしゃいますか。ちょっと前の子ども達に聞きましょうか。月平均すると何時くらいに寝てますか、どうぞ。10時位、10時、11時、11時、10時、10時、健康的ですね、ここの子ども達、かなり健康的です。大人の皆さんの中で10時位までに寝てらっしゃる方ちょっと手挙げてみてください。あらー健康的ですね。ありがとうございます。随分多いですよ。珍しい地域ですね。日本の中でも極めて睡眠の良い状態です。私が各地で聞きますと、例えば小学校で聞いたときこういう状態でした。小学校の3年生ですよ。クラスで聞いてみたんです。昨日何時に寝ましたかと聞くとね、10時なんて少なかった、11時は多かったです。1時、手が上がります。2時、まだ手が挙がります。3時、4時まだ手が挙がります。それでね、さすがに私もびっくりしました。小学校3年生が4時まで起きとった。聞いてみたんです。「4時まで何をしとったの」「テレビゲームしとった」「おうちの人は何にも言わなかったの」と聞きますと。「自分の子ども部屋でしてるから親知らんねん」そうですね、言いましたね。子ども部屋与えてテレビゲームや何でも与えているとその部屋で何時まで起きてるかなんて分かりません。ゲームやインターネットは脳にはとっても悪かったんです。特に子どもの脳にはとても悪いんですが、脳をものすごく過剰刺激するんです。過覚醒といって過剰に興奮させるので、仮に4時で止めてもそっから後ぐっすりすぐには眠れません。体は横になっても脳が興奮状態なんです。朝学校行かなあかんから、次の朝起きたら、起きたときから疲れてる。疲れてるから朝ごはん食べられへん。学校行ったら保健室に直行する。みたいな子が続出するのが当たり前やったんです。夜に寝ささなあかんかったんです。この食べること、寝ることはとっても大事やったんです。加えて、『動く』こと。これはね、地方の大人達、子ども達はとっても危なくなった。何でか言うとね。車社会になったからです。車に乗り始めますと動かなくなる。運動量がとっても落ちるんです。人間の体は動かさないと、どんどん急激にダメになるんです。年齢に関わりなくです。それで、私がよく調べておる青森県や秋田県の小学校では、こういうことが起こってます。過疎地でね、小学校統廃合されてスクールバス導入して、どこ行くんでも親の車に乗せてもらってる子ども達に起こったのは、すぐに起こりました、生活習慣病です。お菓子やばっかりたべておって、運動はしいへんで、そういう子ども達に起こる。これが、生活習慣病。大人の病気違うんですよ。今や子どもの病気。食べる、寝る動くがバランスよくいってない。こういう状態が起こっとったわけです。これがうまいこといってる人というのはね、本当に幸せ者。これがよく崩れます。そして、例えば普段でも心配事が起こったり悲しいことが起こったりしますと、体は横になっても、眠れないということが誰でも起こります。心配事があって眠れてない、だから食べる食欲が無くなって食が喉を通らない。そんなことよくあります。今日集会あるから外出てこよかなんて、誘われても「もうわしゃ行かん」「もう家にいとく」みたいになって動かない。この寝ない、食べない、動かないは誰にでもとっても起こりやすかった。特に悩むとき辛いときそして高齢期に起こりやすかったんです。
皆さん自身にもご家族にもお友達にも気をつけていただきたいのは、夜に眠れてないときには早い目に発見してください。これは風邪引きの前兆と同じで放っておくと、うつ鬱病になりやすくなったりその鬱病から自殺が起こりやすくなったりするんです。寝れてないことくらいと簡単に見ていたらあきません。これは、今の日本ではかなり深刻な問題でもあります。夜にぐっすり眠れてる、ご飯をおいしそうに食べれてる。これを子ども達の状況で見ますときには、親をなさっておられたら我が子のことではこういうことを気にかけてください。何を気にかけるかと言いますと、学校の成績が1点2点上がった下がったとかそういうことはもう気にせんで結構です。二の次三の次なんです。まず気にしていただきたいのは、うちの子どもが、孫がおったらうちの孫が食べっぷりがいいか、寝っぷりがいいか、遊びっぷりがいいか、遊びといってもテレビゲームと違いますよ。体を動かして外に行くという遊びっぷりがいいか。これができておる子どもでしたら、土台ができてます。人生には問題も悩みもいっぱい起こるけれども、これをちゃーんと乗り越えていく体力ができている。今、親は大間違いする人がいっぱいいててこの土台を、いっこも見ずして、点数が1点上がった下がったということに一喜一憂しているからこんな事件が起こるわけです。優等生やと言われてたのに大事件を起こしてしまう。よい子やったのに、普通の子やったのに。土台がぼろぼろやったわけです。土台から。これが自尊感情の土台の一つ、体の栄養でした。ここで自己点検入れておきましょうね。皆様がまず自分を点検することが必要なんですが、体の栄養、自分の最近で考えるとどんな感じですか?。青信号、いけいけどんどんいい感じですか。黄色信号、ときどき点滅しとるなあ、危ないときあったなあ。今の話聞いたら赤信号、ちょっと立ち止まって生活考え直さなあかんかったなあ。自分で点検してみて青信号、黄信号、赤信号どこにいきますかえ?じゃあ青信号と思われた方ちょっと手挙げてみてください。お近くの人その人の顔よう見といてください。これからしんどい仕事その人に何でも頼んでくださいよ。じゃあ黄色信号だと思う人。結構ですね、ありがとうございます。これが大事ですけどバランスが崩れやすいので気をつけといてもらうとつろ酷うなる前に取り戻せます。今、話聞いてて赤信号やと思った方、ありがとうございます。今日の講演会はその方々のためにあります。でもその赤信号の割には目ぱっちり開けて聞いてくださってありがとうございます。充分バランス取り戻せる状況かもしれませんよ。誰でも崩しやすいから覚えておいてください。崩れる前に早いめにバランス立て直すこと。

〈心の栄養〉
 では次に『心の栄養』ということを考えてみましょう。人間は体にも栄養が必要で心にも栄養が必要なんです。『心の栄養』というのは、こういうものをもらうことです。まず、家におってもどこにおっても安心と安全という感覚がある。家におってどなられたり暴力を振るわれたり、そんなことがない。学校に行っていじめがない、体罰がない。そういうふうにどこにおっても、安心、安全、ここは自分の居場所と思いながらおれること。これが全ての人間の基本やったわけです。だけども今、例えば子ども達で言いますと、家におったら虐待がある、学校に行ったらいじめがある、道を歩いていたら犯罪に巻き込まれる、歩いていてもですね、どこにおっても安心と安全がない。こんな子ども時代に、私たちさせてしまっている。安心と安全がまず基本です。次に、更には人とのつながり関わりの中で、自分が誰かに大切にされてると思えてる。また自分はひとりぼっちじゃない。関心をもってくれる人がおると思える。大切にされてるし関心をもってもらってる。また、辛いとき悲しいときいっぱいありますけれども、「何かあったんかぁ」言うてあたたかく聴いてくれる人がおる。14の心かき集めて聴いてくれる人がおる。また、人間は誰でも一生懸命生きております。誰でもかれでも一生懸命生きてるわけです。その自分自身のことをほ褒めてくれるひとがおる。認めてくれる人がおる。信じてくれる人がおる。お互いようやってるなあ、いつでもそうやって誠実にやってるなあ。そういう風に褒めたり認めたり信じたりしてくれる人がおる。そして更には感謝してくれるひとがおる、「ありがとう」という言葉を聴いてくれて今日もいつもあなたがおってくれて嬉しいわあ、あなたの顔見てたら元気になるわあ、今日も来てくれてありがとう」そういう言葉をいっぱい聞いておる。感謝されておる。更に人間は欠点もありますし失敗もありますけれども、そう言うこと全部ひっくるめてあるがままのあなたでOKよ。病気もするやろうし、失敗もするやろう、それでも私たち助け合ってやっていけるよ。そんなこと言うてもろてる。これが心の栄養をもらっているという生き方です。人のつながり関わりの中でこういうものをもらっている。ところがです、これが大事なんですよ。大事やのに、日本中どこで伺いましてもこの話を聞いて、さて、皆さん心の栄養もらってますか?と私が聞くと、いつでも帰ってくる返事はこんな返事ですよ。「もらってません」いう返事ばっかり返ってくるんです。どこで聞いても、沖縄で聞いても北海道で聞いても。それどころかもらってませんどころじゃありません。最近こんな事を言われる方も多いです。「金さん、わしの生活の中ではこんなものは見たこともない。」「見たことないですか、これぇ」こんな生活やいう人もあります。そういう風に言われると、必ずもっと言う人がある。「何を言うておるか。もらったことないくらいましじゃ。わしの周りは奪っていく人間ばっかりや」「奪われてますかぁ」奪われてるというのはこういうことなんでしょうね。「おまえなんか大事じゃない。おまえなんかへたくれもない、おらんようなってもええんじゃ」みたいな、そんな言われ方ばっかりして「奪われていく」そんな感覚を持っている人が日本中あっちにこっちにおる。増えている。ですから、今、皆さんが自分のことを思い出して「ああ自分は『心の栄養』くれる人がおるなあ」と思ったらそれは幸せなことです。私は最近、奇跡の人と呼んでいますが、この人達を奇跡の人と呼ばなあかん程、日本中「こんなものもらってない。奪われてるばっかり」みたいな人間関係が、家庭の中でも地域の中でも職場の中でも増えていっているという悲しい状態があります。どうでしょうね、皆様に聞いてみたいところであります。『心の栄養』、そういえば私はもろてるなあと思う人ちょっと手挙げてみてください。奇跡の人です。よう見といてください。おられましたわ。おひとり。幸せな、お裾分けいただかなあきませんねえ。ありがとうございます。そのもらっている人は独り占めせんと、自分もまたあげてくださいよ。この『心の栄養』と『体の栄養』の重要なポイントは、まず、人からもらっておる、とくに子ども時代、もらってるということが大事です。

〈自尊感情とエンパワー〉
もらっているから、今度あげれるようになります。もらったりあげたり、これを循環する関係といいます。家庭の中や地域の中が心の栄養をもらったりあげたり循環し合う、そういう関係になっておるとき、そこで人間がおるときにはとってもいきいき元気になってきます。そこで起こる変化はまず、自尊感情が高まる、自尊感情が高まると、どういう変化が起きてくるかというと、まず体温があがります。今ご存じでしょうか、小学校の子どもは体温が低い、これ低体温といわれてすごい心配されてます。心と体から冷えきってるんです。自尊感情が高くなりますと、体温があがるんです。体温が上がりますと姿勢が良くなってくるんです。自尊感情の低いときの特徴の一つは姿勢が悪いんです。私もそうでした。私は猫背でした。猫背になる人もあるし、きれいに座れない人もあります。どこで座ってもうダラ〜とこんな格好になります。自尊感情が低いときは脳がうまく体をコントロールできなくなっていくんですね。だからこんなになったりこんなになったりしますが、自尊感情が高くなると姿勢がよくなってくる。表情が豊かになってくる。笑顔が多くなってくる。そういう特徴があらわれるということがわかっております。次には、暖まって光に向かって伸びるということが起こります。光に向かって伸びるんですね。これね、説明しようと思ったら物理学の話があるんです。私は物理はにがてなのに、全ての地球上のものは暖まると光に向かって伸びるんです。人間もそうなんです。暖まってくると、自分の中にある素晴らしい可能性や素晴らしい種がいっぱい芽吹いてくるんです。芽吹いてきてやがて花咲かせるということが起こります。最近のはやりの言葉ではエンパワーしてるという状態なんです。エンパワーというのは英語ですけれども、パワーという英語の前にエンがついています。1円2円のエンと違うんですよ。英語のエンは中から出てくるという意味の言葉なんです。エンパワーという言葉はパワーが中からいきいき出てきている状態を言います。人間は誰もかれも素晴らしい可能性をもって生まれてくるんです。その可能性はちゃーんと栄養もらって暖まってきますと中から出てくるという、植物とかと全く同じ原理なんですね。そういう風にエンパワーいたします。エンパワーしますとき私たちは、「私OK、あなたOK、生きていることが大好きで、そしてこの社会をいきいきと変えながら、私も幸せにあなたも幸せに、差別や偏見や戦争をなくしながら生きていこう。と思って生きていくことが可能である。ところがです、これ人間の光の部分であり、これまでの同和教育の実践の中で言われてきた。特に、私は水平社宣言が大好きなんですが、その最後の文言、覚えておられますでしょうか?『人間に熱あれ、人間に光りあれ』ですね。熱と光、水平社宣言をお書きになった方々が物理の勉強をしたかどうかは知りませんが、熱と光が大事やったということは、もう直感的にちゃーんとご存じやった。私はそう思います。熱と光。これが人間の正に光の部分なんですけれども、今から見るのは人間の闇の部分です。

〈栄養不足は暴力性を引き出す〉
人間はこの光をもちながら闇に支配されることがしょっちゅうあります。闇に支配されるってどういうことかと申しますとね、人間は栄養が足りておるとええことだらけなんですが、栄養不足になると暴力性が出てくるんです。今、日本中、子どもも大人も栄養不足です。寝てない、食べてない、動いてない、寝やんと食べやんと夜中起きてネットやってる、ゲームやってる、そんなふうになりやすいんです。しかも、人とのつながりもなく、大切にされてない。認められてない、分かり合ってもらってない、一人ひとりが孤独の中に生きるみたいなことが起こっています。こういう状態がずっと続くと、栄養不足になって暴力性というものが出てきます。人間をいろいろ研究しますと光を持っているという部分もありながら、人間は暴力性という闇も持っています。この暴力性は誰でも持ってます。私も持ってます。もちろん皆さんも持ってます。自分は暴力性持ってないという人があったら、それは自分のことをよう知らんだけです。人間を深く掘り下げていきますと誰も彼もが、暴力性を持っています。けれども栄養がちゃーんと循環している、そういうところで生きてるときには、暴力性はあんまり出てきません。暴力性を出さずに生きることは可能なんです。けれども、あっちでこっちで栄養不足になってるようなところで生きておると人間は暴力性が出てきます。典型的な例は戦争と軍隊です。あそこはね、『体の栄養』も『心の栄養』もグチャグチャにさせます。ここに人間を放り込みますと、家では優しいお父さんだった人も優しいお兄さんだった人でも、誰でもひどい人間になっていきます。暴力性が出てくるからです。人を殺すようになります。相手の兵隊殺すん違います。一般市民を殺します。女殺して、子ども殺して、老人殺す。これが戦争の現実です。兵士というものはそういう状態に置かれる人なんです。ですから私は、戦争と軍隊が無くなってほしいと心から願っています。いくら私でも、そこに放り込まれたらやがては人を殺すようになると思いますよ。でもそんなことしたくないと思うから戦争と軍隊に反対します。で、戦争行っても軍隊行っても私は人殺さんわと思っている人は、あほです。自分のことを知らんだけ、自分の暴力性を知らんだけです。誰でもそうなる。過去の戦争は全部そうやったんです。さて、この暴力性が戦争や軍隊じゃなくてもいっぱい出てきております。今の日本の社会にもいっぱい出てきております。色んな形で。栄養不足になると暴力性が出てきます。その暴力性は二つの方向で出ます。一つは人に向かって出るんです。人に向かってなぐ殴ったり、け蹴ったり、どなったり、これみんな暴力です。もう一つ出てきます。自分に向けて出るということがあるんです。自分に向けて出る。これも沢山起こります。で、まず人に向けて出るというときのことを考えます。暴力というと殴る蹴るを思い出す人は多いですが、それの前から始まります。大体暴力は小さいレベルから始まるんです。皆さん自身がそうかもしれません。皆さん自身の家族や子ども達も。例えば、毎日の生活で物を置いたりするときに、丁寧に物を置くということが出来ずに、「ドン」こんな置き方、ドアを開けたりなんかするときに「バン」、こんなとき今までどうしてました?「こら、なんちゅうことやっとんねん。」と怒ってました。怒ったら逆効果でした。怒ってたら余計栄養不足にさせる。今日からは、まず栄養不足やなあと考えてください。何で栄養不足になってるか分かりませんから、温かく聞いてみてください。「何かあったんかあ」と聞いてみてください。これだけのことをやってほしいんです。ところがそれを私たちは「こら、なにやってんねん」って怒ってばっかりなんです。これが余計栄養不足にさせてたんです。お互い、小さなレベルから暴力始まります。こんなところに当たってたものが、だんだん叩くの、蹴るの、殴るの、殺すの、刺すのとなっていくわけです。こういう暴力がエスカレートするのを私はまざまざと痛感したのが、小学校に呼ばれたときです。小学校で学級崩壊が起こっているということで呼ばれたんです。10年前です。行ってみて私はびっくりしました。コミュニケーションが全部暴力やったからです。子ども達が隣に座っている子と何か言うときにね「おい、お前」とか言いながら肘打ちするんです。呼ばれた方もね「何やねん、このくそがき」言うて首しめながら返事してるんです。「おい、お前」「何やねん、このくそがき、遊ぼうぜ」言いながら、その子は机の中で足蹴ってるんです、相手の子の。教室ではそれが本当にびっくりするような現実やったわけです。私はびっくりしましたよ。何でやろう、何でこんなコミュニケーションになってるんやろう。子ども達に聞いてみました。「なあ、そんなんいやと違うのん?殴ったり殴られたりいちいちそんなんいやと違うのん?」子ども達はようよう答えて教えてくれました。「えっ、でも慣れた。」暴力は慣れるんです。慣れないとそこの世界で生きていかれへんのんです。人間どういう風にやっているかというと、もう麻痺させるということをやっていくんです。感覚を麻痺させていくので、「これくらい暴力じゃない」という風に思おうとするんです。だから、暴力のレベルがものすごく大きくなって、ものすごく自覚できないように。その結果、こんなけんかが、目の前で起こってました。どんなけんかやってるかというとこんなけんかです。本気になって殴りながら、「冗談やんけ、冗談やんけ、お前、何本気になっとんねん、冗談やろがあ」と言うてるこの子が、冗談違うんですよ。全然冗談違うんですけど、こんなけんかになっておる。それをみんなで止めて引き離して、「今日はもう仲直りも出来へんけど、もうとにかく頭冷やしなさい」言うて担任の先生が、もう放課後やから帰しはった。次の日学校来たときにびっくりしました。けんかした二人の子が共にこんな大きいカッターナイフ持って学校にやってきたから。「あいつ、殺したる。」小学校の話です。暴力は小さなレベルから始まって、あっという間にこうやって大きなレベルになるんやということをすごく実感させられた次第なんですね。そういう肉体的な暴力がいっぱい蔓延してるわけです。物に当たることから始まって、殴る、殺す、刺すまでいってるわけです。暴力は小さいレベルで気ついてください。そして、言葉の暴力というものも、人を殺すほどに充分暴力的であります。言葉の暴力はねこんな研修してよくわかりました。大人の世界でも威圧的な言い方、えらそうな言い方する人が多いわけですけれども、子どもの世界で調べてみて、子ども達が普段使っている言葉を「みんなみんな教えて」と言って書き出してみた。集まってきたのがこんな言葉です。「うざい、きしょい、ださい、いね、死ね、くさい、あほ、ぼけ…」もう書いてていやになります。それでもう一度子ども達に頼んだんです。「お願いやから、もうちょっと人が元気になるええ言葉教えてぇやぁ」とお願いしたら、返ってきた言葉がこうでした。「無理、無理、無理、微妙」無理という言葉と微妙という言葉を子ども達使うんです。共通語です。このね、無理と微妙という言葉は、ものすごく暴力的な言葉なんですよ。特に『無理』という二文字はね、全ての関係をばしっ、ばしっと切っていく言葉なんです。お子さんやお孫さんが使っていたら、「ああ、栄養不足なんやねんなあ」と気ついてください。でも、それを使わないと生きていけない状況を今生きているので、それを奪わんといてください。使わんでもいいようになっていくことが一番いいことです。さて、そういう言葉の暴力も大変蔓延しています。それに加えて、精神的暴力が蔓延していきます。これは、大人も子どもも、やらしいですよ。やらしいと思います。わたしは。精神的暴力というのは、直接殴ったり蹴ったりもしません。直接目の前で口でも言わない。その代わり、こういう風に言えるんです。「何にもやってないやんけ、おれは」ずっと、にらみつけている。ずっと、無視してる。ずっと仲間はずれしてこっちで陰口言ってあざ笑ってる。それから、その子の大事な物取ってきて、ぐちゃぐちゃに潰して知らん顔してるとかね。携帯を持たせますと、暴力メールで「おまえみたいなやつ死ね」とかね、そんなことやってるわけです。携帯電話は要注意ですよ、皆さん。もたしてしまってたら、今から考え直さなあきませんが、栄養不足の子ども達がこれを持つとき、凶器になっていきます。大変な使い方を今子ども達はするわけです。それから、性暴力というものもいっぱい起こります。性暴力は、人に対するレイプ、痴漢行為、そういうことがいっぱい起こります。性暴力は大人が大人にいっぱいやってます、今。大人が子どもにもいっぱいやっていて子どもが被害者になるということも多々起こっています。ところが、もう一つの悲しい現実には、子どもが、一八才未満の子どもがより小さい子どもにやる性暴力もとっても多くなっています。このことにおいては、子どもが加害者にも被害者にもなっていってるということです。そういう現実もたくさんあります。さ、こういうものを我々は、人に向ける暴力として持っているんです。持ってますよ。で、戦争に行ったら、これ全部やるわけです。全部起こってます。家ではやったことがなかった人でもやったりするんです。さて、今度は、自分に向ける暴力というものを見ておきたいと思います。私が思いますのには、人間のやさしさが、人に向けるよりも、自分に向けて行こうとするときがあるんじゃないかと、こう思うんですね。やさしい人程自分に向けていくんじゃないかと思ったりするんです。で、この自分に向ける暴力の肉体的暴力、一番大きいのが自殺です。自分の体も存在も抹殺してしまう自殺。これが、今日本では毎年毎年三万人を超えて自殺なさるわけです。その七割は男性です。男性の40代、50代、60代が自殺予備軍とみられている程、栄養不足になりやすくって、誰にも言わず、ひっそりと自殺なさる人がたくさんおられます。その数は一日あたりにすると、90人です。申し訳ないけれど、今日ここにせっかくお集まりになった皆さん、私も含めて、全国で一日に自殺する人の数です。こんなにたくさん、その周りのお友達や家族は、誰かが自殺したという後は、特にそういう痛みや悲しみを人には打ち明けることもできずに、ずっと長年抱え込んでいくということが、しょっちゅう起こります。だから、私は自殺をしてほしくない。本当にそう思います。それから、そうやって沢山の男の人たちが自殺する一方、子どもも自殺します。いじめを苦にして自殺する子も多いわけです。それから、自傷行為というのを子どもや若者はよくします。自傷というのは、自分で自分を傷つけるんです。一番有名になったのは、「リストカット」というやつですね。手首をしょっちゅう切り刻んで、腕が傷だらけ。これ「リストカット」、省略して「リスカ」なんてよんだりしますね。腕ごと切り刻む子もいてアームカット、「アムカ」とよんだりします。それから、煙草を早くから吸い始めて、その煙草の火で自分の腕にやけどして、「根性焼き」といって、やけどのあとだらけをつくる子もいます。自分に向ける暴力です。どんどん低年齢化していて、幼稚園くらいの子どもでも、いっぱいやってるんですね。中にはこんなんする子どももいます。泣き叫びながら、コンクリートに自分の体をぶち当てるんです。ぶち当てて、腕が折れても脱臼してもやめない。そういう子どもがおったりします。これ、自傷行為なんです。栄養不足が、ものすごい栄養不足が自分に向けていく一つの表し方です。それから、大人も子どももいろんなものにはまります。依存症というやつです。いろんなものにはまるんですね。栄養不足をそこで補おうとするんだけれども、一番多いのが煙草です。で、煙草が体に悪いなんて誰でも知ってます。知っちゃあいるけどやめられないのが、依存症の特徴なんです。煙草を今吸っている方は、増やさんようにしてください。増えていくときが、栄養不足の兆候を表しているときです。それから、酒。酒もおいしく楽しく飲めている間はOKですが、「おいしくもない、楽しくもないけど飲まなやってられへん」になったら、これ、りっぱなアルコール依存です。今は男性も女性も多いですよ。酒飲んだら暴れるお父さんなんかしょっちゅう聞きますね。アルコール依存。それから、ギャンブル。これもりっぱな病気なんです。ギャンブル依存という病気。これ、自分一人では直せませんが病気です。ギャンブルにはまって、大金つぎ込んで借金して夜逃げせんなあかんという人が、年間20数万人出てくるわけですね。ギャンブルで破綻する依存症です。それから、薬物で依存する。若者に多いですね。携帯を持つとそんなものすぐ買えて薬物づけになっていく。それから、携帯中毒、携帯依存になっていく子どもも多いです。携帯なかったらもう生きてられへんみたいになっていく。そういう中毒症状が出ます。依存症ですね。さあ、こんな風に自分の体に悪いとわかっていながら自分を破滅においやる。こういう自分に向ける暴力がありますが、その中に言葉の暴力、これも多いです。皆さんは使いませんか。自分のことを卑下していう。「私みたいな人間はだめです。」「私みたいな人間はあきません。」とかってね。これからは、そういう言葉はできるだけ減らしてください。で、こういう自分に対する否定的な言葉を本気で使う人が日本中すごく多いんです。例えば、お年寄りの方やったら、こんなことをしょっちゅう言われます。「私なんか早よ死んだらええねん。私が死んだら子どもが喜ぶねん」そんなことを言うお年寄りの方がいっぱいおられます。そうかと思ったら、4才5才の子どももこんなことを言うんです。「おばちゃん、僕は生まれてこん方が良かってん」4才5才でこんな言葉を言うかと思うくらい、大変自己否定的な言葉を日本中使います。だから、この言葉はできるだけ減らしていきたい。そう思います。もし、皆さんの周りでその言葉を使う人がおったら、必ずその場で言ってあげてください。「そんなことないよ、私はそうは思わんよ」必ずその場で言ってあげてください。そして、3つめには、自分に向けていく精神的暴力をやります。自分に向けていく精神的暴力はどんなんかというと、もう生きていくのが本当にしんどくなってくるんです。で、栄養不足のなかで、人間関係断ち切って、家に引きこもっていく。自分の部屋に閉じこもっていく。布団の中に閉じこもっていくみたいなことが起こります。これが3日位やったらいいんです。誰でもそんなことあります。ところが、バランス崩して長くなっていきますと、その中でものすごく自分を責めていくんです。「こんな自分が悪いんや。こんな自分やからだめなんや。こんな自分おらん方がええんや」ものすごく自分を責めて、うつうつとよくうつ抑鬱になっていくということが頻繁に起こります。優しい人、まじめな人ほどうつびょう鬱病になりやすいのはそういうせいです。自分をうわーと責めるわけです。子ども達ですと、引きこもったり不登校になっていったりすることもあります。で、引きこもりや不登校でもね、学校に行かんだけで、他に居場所があって、フリースクールあってそっちに行ってたら健康な引きこもりなんですが、もう部屋から出んようになってゲームばっかりやるというと、とてもバランス崩してるという状態なので、何とかしていきたいなあと思います。そしてまた性暴力を自分に向けるということまで起こります。性暴力を自分に向けるということはどういうことかというと、一番特徴的なのは、小学生や中学生で援助交際に走る少女達。自尊感情が低くなりますと、自分のこと大事に思わんようになるんです。心も体もどうなったってええんや。すごくせつなてき刹那的になります。そういう状態の中で、こういう子ども、女の子を狙っている悪い大人がようけおるわけです。そういう大人ほど最初はやさしい言葉で近づくわけです。「君は可愛いなあ」とか、「君はええ子やなあ」とか言うてくれて、今まで聞いたことのないようなやさしい言葉を聞いて、ころころとだま騙されていく。あっという間に気ついたら、暴力団ぐるみの薬物づけにされておって、ばいばいしゅんやど売買春宿に売り飛ばされておって、どっか知らん町でずたずたになるまでこき使われて、あげくに発見されたときには山の中に埋められておった。海の中に沈められておった。これみんな実話です。こんなことが起こる国になってしまってたんです、日本は。さあ、こういう風に人間は暴力性をも、もっております。栄養不足が長く長く続くと、出やすくなる。そのとき、人に向く暴力という形で出てくるときもあるし、自分に向く暴力として出てくるときもある。これらの暴力は共通点をもっておって、3つの共通点のうちの一つは、連鎖する。一人のところでなかなか終わってくれません。終わらせる人もおりますよ。りっぱな人たちです。でも、安易に連鎖させます。そして、2つめには必ず弱い方に向きます。3つめには、そのたんびに拡大していきます。その特徴を一番典型的な例で紹介するとこういうことがあります。まずね、世の中の男性という男性がものすごく栄養不足なんです。日本はね、今経済不況でしょう、一部ようなったというけれど、ものすごく一部の話です。一部ようなった企業は、ようなる前に何万人もリストラしてからようなってるんです。多くの男性は、仕事人間であればあるほど、真面目であればあるほど、一生懸命やっても認められてない、わかってもらってない、「お前なんかリストラや」「お前なんかくびや」そんなことばっかり聞いてたりします。そういうさなかにあって、どんどん栄養不足になる。実際、いきなりリストラされた。いきなり会社が倒産した。いきなりたちいかんようになった。そんなことを体験する人はもう五万とおるわけです。そういう男性たちがどんどん栄養不足の中で自分に暴力を向ける方も多いです。そういう方はしばしばアルコール依存におぼ溺れていったり、鬱病になる方すごく多いです。自分を責めたり、それから自殺をなさる人もとても多いわけです。そうやって自分に向ける一方で人にも向けます。その人に向くとき必ず向くのが弱い方なんです。強い方には向きません。だから、あまたある事件の中で会社の上司を殴りに行ったという事件はめったに起こりませんよ。どこに向けていくか、もし職場の中で出す人おったら、職場の中の若い者や女性にセクハラやってたり職場のいじめやってたりするんです。でも、もっと多くの男性は家に持ち帰ります。家に持ち帰って妻に向ける、子どもに向けるわけです。外ではね、頑張って優しそうな人が多いんですよ。いや、どうしよう。今日皆さんすごく優しそうな男性多いけど家で大丈夫ですか?大丈夫?外で頑張って優しそうな人はね、家帰って妻や子どもに鬼みたいな顔見せてる人がようけおるわけですね。家に帰ってきたとたん、玄関開けたとたんに「俺が帰ってきたのに、飯もまだか。誰のために俺がしんどいめぇして働いてると思うとんや。お前ら誰に食わしてもろてると思うてんや」いうて、もうお父ちゃんが帰ってきたら、物は投げつけるわ、怒鳴りっぱなしやわで、みんな怯えて部屋の隅っこいかなあかん、安心も安全もない、こういうおうち、ようけあります。中にはね、こういうお父さんもあります。「わしゃ、何にもしてへん。テレビ見てるだけや、ぶすっと」これね、黙って何も言うてないけど、テレビぶすっとみてる、この存在自体が暴力なんです。そういうとき、機嫌悪そうな顔してね、「俺が機嫌悪いのん分かるやろう」思って座ってるわけです。これ、暴力性を発揮しまくってるわけです。こういうとき、頭を冷やそうと思って、公園とか歩いて帰って来る人は、まっとうな人です。ところが、家の中でこの機嫌悪い俺の様子を分かりやがれというのは、この俺の暴力を分からんかいうてここに座ってるので、精神的暴力出しまくりなんですね。お父さんがとにもかくにも怒鳴ったりぶすっとしてたり、そんな感じで家におるとき、妻はすぐに栄養不足になりますよ。妻なんて「私が悪いからや、私がちゃんとせえへんからや、私が妻の役目果たせてないんや」いうて、自分責める人ものすごく多いですよ。それから、今、妻の中にもギャンブル依存やアルコール依存になる方すごくおられます。自分を責める妻がいっぱいおるわけです。その一方で、この妻も人に向けます。人に向けるんです。この人に向けるとき弱い方に向けるので、昔やったら、姑が嫁にというのがようあったです。今やったら母親が子どもにと向くのが虐待です。さっき言った夫から妻に向くというのがD・Vといわれるやつですよ。お父さんやお母さんから子どもに向くやつが虐待です。何も子どもが悪いわけではありません。子どもが嫌いなわけでもないんです。でも、自分のことでいっぱいいっぱい苛立ってストレスためてるので、ささい些細なことでちょっとしたことで暴力が出るんです。小さい子どもの場合やったらこんなんですよ。朝の忙しい保育所行くときに、子どもが言うこと聞かんで醤油までこぼしたときに「おまえはもう何するの、この忙しいときに。もうさっさとしなさい。」言うて手が出る。一回手が出始めると、暴力はすぐ大きくなります。だから、早く止めやなあかんです。ところが、今はバラバラ個人主義になっていってて、隣で怒鳴り声聞こえようが、叩く音聞こえようが、「見やんとこう、言わんとこう、聞かんとこう、関わらんとこう」いうてね、そんなんやってるから、暴力が家の中ではぶわーと大きくなって、虐待が起こる。高齢者虐待も起こる。いろんなことが起こっていくわけです。より良い地域のつながりの中で暴力が大きならんように支え合わなあかんかったわけです。さ、そうやって子どもに手が出るということもよくあるし、言葉の暴力も多いです。今、親御さんが子どもにかけてる言葉聞いたら、「私は手出してません」というけども、「お前みたいな子は産まんかったらよかった。お前みたいなやつは産まれんかったらよかったんや。お前みたいな子は欲しなかったんや。」みたいなことをね、言わはるんです。「お願い、そんな言葉を子どもに聞かさんといて」と思うけどね、わーと言葉の暴力もいっぱいです。お父ちゃんとお母ちゃんがそんな状態やと子ども達はすぐ栄養不足ですよ。家の中ですぐ栄養不足になります。その子ども達が自分に暴力を向ける子は、早くからゲームに溺れていったり、携帯に溺れていったり、自傷行為をする子もおるし、煙草吸い始める子もおる。これ、自分に向ける子です。一方で人にも向けるんです。子どもの世界で弱いのははっきりしてるんですね。学年が下の子、体がちっちゃい子、優しくて仕返ししそうにない子、それから差別と偏見とっくに刷り込まれてますから、訳も分からず「お前ら朝鮮人やからいじめたる。」「お前ら部落の人間やからやってまえ」みたいに、そういう差別や偏見の元にいじめる相手、暴力を向ける相手を選んでいきます。それでもって、そういう子ども達を学校の裏に連れ込んできてですね。みんなで寄ってたかって殴ったり蹴ったり、言葉の暴力で「お前ら、あほじゃ、ぼけじゃ」やっとったりするわけです。で、みんなで集団で仲間はずれもやっとったりもします。そういう子ども達の世界が蔓延してるわけです。そうしますと、皆さん覚えておいてください。うちの子どもと孫にだけ栄養やってたんでは足らんということです。うちの子どもと孫だけじゃなくて、地域の子どもみんなに栄養をあげとかないと、家の子どもだけやっておりますと、うちの子どもが狙われます。「お前とこだけもろてええのう」とかね。地域の子がみんな『体の栄養』、『心の栄養』足りるように、皆さんはあげていかなあかんかったんです。それで、実際こんなことは多いです。家ではいっぱい栄養もらっていた子ども達やったけど、子どもの世界でいっぱいいじめられて、いじめを苦にして自殺するという子が年間何人も出るんです。日本は。そして、いじめを苦にしてひきこもっていく、閉じこもっていく。そんな子も何人もおります。そうかと思うと、この子ども達がさらに弱い方に向けていくという悲しい連鎖をします。このとき、さらに弱い子の一つは、弟、妹を殴ったり叩いたりしています。それからさらに小さな幼稚園やら赤ん坊やらにひどいいじめをやってたりするんですね。もう一つは動物虐待に向いたりもします。さあ、こうやって日本中に暴力の連鎖が、次々弱い方に向けて、拡大していくんです。何で拡大するかというのはね、人間の悲しいとこで、自分がね、理由もないのにバーン一発殴られた、殴った相手あんまり強くて怖いから仕返しできへんとき、いつまでも腹たって誰かに八つ当たりするとき、一発殴っただけでは治まらん。3発か4発ね、倍にして出さな治まらん。だから、暴力は連鎖していくほどに拡大していくんです。それで、今日本の状況の中では、子どもの世界が悲しいほど暴力的にさせられてきました。さあ、ここの闇の部分を私たちはしっかり見ておきたいと思います。でも、私たちはこの闇ばっかり見ていてもあきません。

〈ホリスティックな生き方〉
 今日、私がやってることの一つに、『ホリスティック』という言葉をお伝えしたかった訳ですけれども、『ホリスティック』という言葉は、物事を全体的に総合的に見ていくというものの見方、考え方なんです。ところが、今はそれが出来てない時代なんです。今はホリスティックの時代じゃなくて、バラバラという時代なんです。心と体もバラバラ、人と人もバラバラ、家族の中もバラバラ、地域の中もバラバラ、願っておることとやっておることもバラバラ、私なんかもね、しばしば願っておるのは世界平和やのに家庭は不和とかね、これバラバラですよね。という状態によくなります。それをもういっぺん全体的につないで見ていく、そういう見方が大事なんですが、その時いくつか大事なキーワードがあります。『つながり』が大事です。それから、自分から関わるという『関わり』が大事で、それからもう一つ『バランス』というものも大事なんですね。で、今私たちはつながりがなくなってます。関わることもなくなっています。バランスもものすごく悪くなっています。子ども達で言いますと、勉強はすごい出来るけど友達一人もおらんみたいな、これバランス悪すぎます。そういう子どもがいっぱいおったりするわけです。そういう大人もいっぱいおったりするわけです。で、我々はもう一度今家庭の中から、地域の中から、学校の中から、いろんな中から、つながり合うこと、関わり合うこと、バランスを取り戻すこと、そういう生き方を作っていくというのがとっても大事でありました。このホリスティックな生き方というのは、もともと日本の生き方やったんです。これね、この研究者達は欧米の人たちですが、日本人の生き方を研究したんです。とっても、人とのつながり、自然とのつながりを大事にし、季節のつながりの中で活き活き生きるということをやってる民族やったんです。日本人が。今、全然出来なくなったんです。日本人は今やバラバラ、バラバラ、バラバラです。心も体も何もかも。もう一度この今田地区の皆様こそは、家族の中でのつながり、地域の中でのつながり、学校の中でのつながり、いろんなつながりと関わりの中で、体の栄養と心の栄養を循環させて私OK、あなたOK、この街OK、この地球上の命全てにOKというような人権の文化を創っていっていただきたい。そう願っております。で、今時代はとっても人間の闇の部分、暴力性がどあーっと出てきているそんな時代であります。でも、このバランスをもう一片立て直していく。その立て直していくのは、お一人おひとりの足もとから、生活から、そして、すぐ近くの人と人とのつながりから、バランスを立て直し、人間を闇の部分ではなくて光の部分を引き出しながら生きていく、そういう人権文化をこの今田の土地から始まっていきたい、始めていっていただける、そう心から信じております。そのことを私もいつも心から祈って応援したいと思っております。今日は「自分のこととして考える人権」−自尊感情、エンパワー、暴力の視点から−、皆様に今、私が思っておりますことを、わかってきたことをお伝えいたしました。これらのことが皆様の生活の中に活かされれば大変嬉しく思います。本当に長い時間ご静聴ありがとうございました。